黒い辻風と調律師

【7】 激しい乾き

(……不思議な感覚だ……)

 辻風は、まどろむ意識の中で、不思議と心地よい感覚を感じていた。
 
 あの瑠璃というメイドの責めは苛烈を極めた。
 まるで子供が虫の羽を毟って楽しむかの如く、笑顔を浮かべ辻風の事を責め立てた。
 そういう行為に手馴れているのだろう、その手際には無駄がなく、的確に嫌な所を責めてきた。

 暗殺者として結社に育てられた辻風は、もちろん拷問などに対する訓練も受けており、それに対する対処法も心得ていた。拷問とは肉体よりも精神を責め立てるものであり、相手に殺す意志が無いのであれば、心さえ維持できれば、対処のしようがあった。
 だから、辻風は幼少の頃の訓練の過程で、自らの意志の一部を、切り離す術を体得していた。
 肉体的苦痛に悲鳴を上げる自分を、まるで他人事のように見下ろすもう1人の自分。そんな自分の心の一部を心の奥底に隠す事を覚えてからは、拷問に耐えれるだけでなく、人を殺す事にも、迷いが生じなくなった。
 そうして心を殺せない者は、ある者は暗殺に失敗し、ある者はターゲットを殺せなくなり処分されていき、気が付けば多くいた同期メンバーも一握りの人数になっていた。
 その腕利きとなっていった同期メンバー達も、構成員に施された逃走対策の施しをどうやってか解除し、ある日、結社から揃って逃走した。
 そんな彼らを命令通りに追撃し、一人ずつ確実に処分していった時も刃に迷いが生じる事はなかったし、後に、それが辻風を試す為のテストだったと聞かされても、何も感じはしなかった。

 だから、常人なら音を上げるような瑠璃の責めに対しても耐えられたし、いつでも殺せるように機会すら窺ってもいた。
 だが、今置かれている状況は、今までとは違った。
 身体を丸めた状態で拘束され、何かの液体の中へと潜らされているのだろう。
 水温は体温よりやや高めだろうか、口元のマスクで酸素は送られてはいたが、呼吸量を調整され、深くゆっくりと呼吸する事を強制されている。
 目はアイマスクで視界を塞がれ、耳にも耳栓を押し込まれ聴力を封じられている為に、感じられるのは自らの呼吸音ぐらいだった。
 そんな状態にずっと置かれていると、まるで自分が胎児に戻り、母親のお腹の中に戻ったかのような気分になっていく。何かに包まれているような安心感に浸り、先ほどまでの苛烈な責めの反動もあり、心身が徐々にリラックスしていくのが自覚できた。
 こんな心地よい状態に浸る事など、暗殺者として育てられた辻風の記憶の中にはなかった事だった。

―― 罠かもしれない…… ――

 そう理性は訴えるのだが、ずっと疲れきっていた心も身体も、今の状態にもっと浸っていたいと切望していた。

―― でも……もう少しだけ…… ――

 そうして、辻風の心は、徐々に深い眠りへと沈んでいった。



「う……うぅん……」

 うなじを撫でるこそばゆい感覚に、熟睡していた辻風は眉をひそめた。
 そんな子供のような無防備な辻風の寝顔に瑠璃はクスリッと口元を綻ばせた。

「――うふッ」

 その気配に気が付いたのだろう。辻風の柳眉がピクッと吊り上る。そして、徐々に彼女が瞼がゆっくりと開けられる。
 その途端、キスでもしようかという距離まで近づいて、寝顔をジッと覗きこんでいた瑠璃と目が合った。

「……何をしている……」

 それまでの無防備な寝顔が嘘のように辻風の顔が険しくなり、ギロッと瑠璃を睨みつける。そして、その視線が、自らの長くて綺麗な金髪の毛先を掴み持ち、ヒラヒラさせている瑠璃の指先へと移る。

「えー、辻風があんまり起きないから、ちょっとイタズラをね」

 殺気のこもった辻風の視線を受けても、瑠璃は平然としている。それどころか、テヘッと笑い、舌を出す仕草をする始末だった。
 そんな相手の様子を見ていると、辻風はまじめに対応している自分が急に馬鹿らしくなってきた。

「……ふンッ」

(なんで、コイツを相手にしていると、こうも感情的になってしまうのか……)

 瑠璃の相手をしていると、普段は心の奥底に仕舞い込んでいるはずの感情が表に出てしまう……その事に、辻風は戸惑いを覚えていた。

(……でも、今はそんな事より……)

 辻風は乱れる気持ちを切り替え、今の自分の状況を確認する。
 いつのまにか、元に寝室へと戻されたようだ。最初の時と同様に、手枷足枷に繋がった鎖で天蓋付きベッドに人字型に拘束されていた。
 だが、今度は全裸でなく普通に紺色のパジャマを着させられていた。軽く身体を身じろぎすると、ヒンヤリした感触のシルク生地が、火照った身体にサラサラと触れ心地よい。
 あれから、どれくらい眠っていたのだろうか、身体には痛みは無く、傷は全て完治しているようだ。ただ、身体全体が少し熱っぽく、気だるげな感じがして肌が敏感になっているようだった。

「やぁ、お目覚めかな」

 そんな辻風の思考に割り込むように、クロが寝室の扉を開けて顔を覗かせると、スタスタと入ってきた。
 それに対し、辻風は黙ってジッとクロを見つめるだけに止めた。

「おや、不機嫌そうだね……ところで辻風は、喉は渇いていないかい?」

 反応のない辻風を気を悪くした様子もなく、クロはニッコリと微笑むと、背後に隠していた両手を前に出す。その手には2つのワイングラスと、ボトルが握られていた。

(確かに……熱っぽいせいだろうか……喉がカラカラだ……)

 目の前では、瑠璃がいそいそと辻風のお腹の上にベットテーブルを用意すると、よく冷えている様子のワイングラスがその上へと置かれた。
 そして、トクトクトクッと心地よい音を立てながら、ワインがグラスに注がれていく。
 目の前でグラスに注がれる鮮血のような真っ赤な液体。それを見た途端、辻風の喉はゴクリッと無意識に音を鳴らしていた。

「はッ、どうせ、それが飲みたければ……とか言い出すのだろう?」

 だが、その渇きを相手に悟らせないように、辻風は敢てワザと悪態をついた。
 プイッと顔を背けてみせるのだが、横目ではグラスをついつい見てしまう。

「イヤだなぁ、そんな酷い事なんてしませんよ」

 そんな辻風にクロは苦笑いを浮かべると、グラスを自ら手に取り、彼女に見せ付けるようにグラスの中身を一気に飲み干した。

――ゴク、ゴク、ゴクッ……

 傍から見ても心地よいぐらいに、クロはワインを美味しそうに飲み干していく。
 その様子に、辻風は乾いた自らの唇を知らず知らずのうちに舐めていた。

「ちなみに毒などは入ってませんからね」

 空になったグラスを振り、辻風に対しウィンクをすると、クロはもうひとつのグラスにもワインを注いでいく。

「どうだかな……ウソぽいヤツの言う事は信用できないな」

 そう更に悪態をつく辻風であったが、既に目の前で注がれるワインから完全に目を離せなくなっていた。

「まぁ、そう言わずに……ね?」

 辻風の後頭部にソッと手を差し入れ、優しく抱き起こすと、クロはその口元にワインがなみなみと注がれたグラスを近づけていく。
 グラスから漂うワインの香りが鼻腔をくすぐると、再び辻風はゴクリっと生唾を飲み込んでいた。そして、ワインがそっと唇を濡らすと、つい一口だけ飲み込んでしまっていた。

――ゴクリッ

 ワインの芳醇な香りが口腔内に広がり、喉奥へとよく冷えた液体が流れ落ちていく。
 一口飲むと、もう止まらなかった。二口、三口と更に口に含み、気が付けばゴクゴクと全ての液体を飲み干していた。

(……ん?)

 だが、グラスいっぱいのワインを飲んだというのに、渇きは癒えるどころか益々、増すばかりだった。
 そんな彼女の戸惑いを見透かしたように、クロの手で再びグラスにワインが注がれると、辻風の口元へと近づけられる。辻風はそれを待ち切れずに、無意識のうちに首を伸ばし自らグラスに口をつけていた。

――ゴク、ゴク、ゴクッ……

 再び、辻風はグラスの中身を全て飲み干していく。
 だが、やはり彼女の渇きは癒えるどころか増すばかりだった。それどころか、身体の熱が徐々に上がり、火照ったように白い肌が朱に染まりだし、うっすらと汗をかき始めていた。

「はーッ……はーッ……はーッ……貴様……何をしたッ……」

 ついには顔まで真っ赤にし、息を荒々しく乱し始めた辻風は、ギッとクロを睨みつける。
 対するクロはニコニコと笑みを浮かべ、そんな彼女に優しく語り始めた。

「辻風に寝てもらっている間に、ちょっとその身体をいじらせてもらいました。まぁ、その副作用で、少しばかり身体が敏感になったり、極端な偏食になってたりしてると思いますけどね。例えば……」

 そう言って、クロはポケットからソムリエナイフを取り出すと、自分の指先に小さな傷を付けた。
 その傷口から、みるみる血が溢れ出し、にじみ出る血で紅い珠が出来上がる。
 クロはその指先を、おもむろに辻風の唇に押し付けた。

「な、なにを……んッ……やめッ……」

 歯を食いしばる彼女の唇にベットリと自らの鮮血を塗りつけると、クロはゆっくりと指を離す。

「まぁ、試しに舐めてごらん」
「だ、誰が貴様の血なん……て……えッ……な……なんで……」

 そのクロの血の香りを嗅いだ途端、辻風の身体がビクッと反応したかと思うと、ダラダラと汗を流しながら身体を震えさせ始めた。

「そうは言っても、身体は欲してるようですから、我慢は良くないと思いますよ」
「くッ……そんな……ぐぐぐぐッ……」

 辻風は真っ赤にした顔に汗をダラダラと垂れ流し、それでも必死にグッと歯を食いしばり、凄い形相でクロを睨みつける。

「ふぅ、やれやれ……瑠璃ッ!!」
「はーいッ!!」

 辻風の様子に肩を竦めると、クロは瑠璃に声をかける。それを待ってましたとばかりに、脇から瑠璃の手が伸びて、ガシッと辻風の下顎を掴んだ。
 
「ぐッ……や、やめ……はがッ!!」
「どうぞ、クロ様ッ」
「ありがとう、瑠璃」

 瑠璃が物凄い力で辻風の顎を押さえ込み、無理やり唇を開かせると、クロはグラスにワインを再び注ぎこんで、そこに自らの鮮血を垂らし落とした。
 そして、それをゆっくりと辻風の口元に近づけると、その口腔内に液体を注ぎ込んでいく。
 
「がはッ……うぐッ……んぐッ……」

 ゆっくりとグラスの中身が辻風の口の中に注ぎ込まれ、そして、ついにはグラス内の全ての液体が辻風の口の中へ消えていった。
 それを確認すると、瑠璃は今度は辻風の下顎を押し口を押さえこみ口を閉じさせると、その口元を手で覆い隠した。

「はーい、しっかり味わってねッ」
「んッ! うぐーッ!!」

 必死に抵抗しようとする辻風だったが、意志とは裏腹に、喉が勝手に蠢くと口の中の液体を飲み込んでいく。

――ゴクッ……ゴクッ……ゴクッ……

 そうして、辻風が液体を飲み込むのを確認すると、ようやく瑠璃は彼女の顔から手を離した。

「ふはッ……げほッ、ごおッ……あ……あぁ……あぁぁぁぁ……ひぐッ!!」

 激しくせき込み、目尻に涙を浮かべる辻風。そんな彼女の拘束された身体が突然、ビクッと激しく仰け反ったかと思うと、痙攣したようにガクガクと身体が震え始めた。

「はははッ、凄いでしょ。食欲と性欲をいっぺんに満たす快感なんて初めての感覚でしょう? 今、体験してもらったように辻風の身体は、僕の体液に激しく反応するようになった訳なんですよ」
「なッ、ひィぐぅ……そ、そんな……くぅぅッ……バカなッ……」
「辻風の身体は、作り変えている1週間ずっと、放置しっぱなしだったからね。きっと身体は飢えきって、欲して欲してたまらないはずだよ」

 クロの説明を聞きながら辻風は、それが間違いでないと自らの身体の反応から感じ取り、愕然となっていた。

「さて、それじゃぁゲームの続きを始めるとしようか。ちゃんと約束を覚えているよね」

 そんな辻風を見下ろしてクロはニッコリと微笑むと、ゆっくりと彼女の上に覆い被さるのだった。





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