催淫染脳支配
【7】 消えぬ傷痕
「お待たせしました」
待ち合わせ時間にあわせて合流した戸陰は、会釈をすると隅の席へと腰をおろした。
すでに参加メンバーは揃っており、戸陰が最後であった。有志での参加ということもあり人数は六名と少なく、戸陰と真矢の他には、中年の女性教師の三名と社会科の牛田(うしだ)という中年の男性教師が集まっていた。
その牛田だが、暇さえあれば真矢に話し掛けていたらしく、その露骨な真矢狙いの態度に女性教師たちの機嫌も悪くなっていた。
今回の発案者である古典教師の遠崎(とおさき)が、不機嫌な表情で牛田を嗜める。
「牛田先生、そろそろ始めても良いですか?」
「え、あぁ、戸陰さんがやっと来たんですね、もぅ、待ちくたびれちゃいましたよ」
「はぁ……では、始めましょうか。皆さん、今日は参加していただき、ありがとうございます」
遠崎は学年主任も兼ねる上品そうな物腰の女性だ。牛田の言動に呆れつつも話し始める。
そんな遠崎も、自分の理想を押し付ける傾向があり、若い世代の教師とのズレが年々厳しくなっているというのが戸陰がつけた評価だった。
「近頃、女学園の周囲では不審者が出没するという報告があり、さらに今度は深夜の繁華街で生徒の目撃情報がありました。私個人も女学園内での風紀の乱れを感じています。それを正し、生徒の規律を戻すためにも、今こそ生徒を導く立場である我々の行動が大事だと思います。そこで、その一環として皆さんに協力いただき、見廻りをすることで事実確認と事態の収拾をはかりたいと思っております。そもそも、当女学園が創立されたのは……」
遠崎の悪癖はダラダラと長い話だった。自分の考えを一方的に吐き出すまで終わらず、授業もそんなスタイルで進めるものだから、生徒たちの間では安眠製造機と揶揄されているほどだ。
長いわりに中身がない話を延々と聞かされるの辟易する。日中の業務で疲労が溜まっている同僚の教師たちにとっても苦行でしかないだろう。
参加者が少ない理由を察する戸陰だが、彼自身も真矢を観察する目的で参加しているのだから関係なかった。
真矢の方は同僚たちがだらけてきている中でも姿勢を正して話を聞いていた。その姿が遠崎を上機嫌にする。傍聴者をスピーチが益々長くなるのだが、それでも真矢は姿勢を崩さずに黙々と先輩教師の話を聞いているのだった。
その脇では露骨に退屈そうな表情を浮かべた牛田が欠伸までしているのが対照的だ。
(少し意外ですね。生徒には親身に近づいて気遣う彼女が、ここでは周囲に合わせるでなく、自分を貫こうとする……)
学校でも観察を欠かしていない戸陰だが、真矢の弱みらしいものを未だに発見できていなかった。
最近になって、彼女が学生時代には空手少女として有名だったと知り、過去の記事なども調べはじめていた。
今回もそういった情報収集の一環で参加しており、こうして観察して情報を得ようとしていた。
(彼女なりの正しさを軸にしての行動……にしては、やや頑な印象も受けますね。自分に厳しくしなければならない何かがあるのか……)
遠崎の長い話もようやく終えると店を出て繁華街の見廻りをすることになった。
今回は三人一組での行動となり、戸陰は真矢と牛田で繁華街の裏通りを中心に巡回する役目を割り振られる。
そこは賑やかなメインストリートとはうって変わって、小さなバーが点在するだけの静かなエリアだ。時折、店からもれるカラオケの音が聞こえるぐらいで何事もなく移動していく。
そのせいか緊張が緩んだらしい牛田が真矢へのアプローチを再開していた。
親が資産家らしく、リゾート地に別荘を買っただの、愛車のフェラーリの乗り心地が最高だとか自慢話を繰り返すのだった。
(やれやれ、他の先生方もこれが嫌であちらのグループにいったようですね)
贅肉のついた腹を揺すりながら自慢話を繰り返す牛田には戸陰でも辟易させられる。
それに加えて女性たちは、同姓がチヤホヤされるのが面白くないのだろう。
言い寄っている牛田に非があるのは理解していても、理性と感情を切り分けられないのだ。感情に振り回されるところは実験に使っている女生徒と変わらないように感じる。
だが、同じ女でありながら真矢は感情的になるところを見せない。今も自慢話を繰り返す牛田に嫌な表情のひとつ浮かべていないのだった。
そうやって真矢のわずかな変化を見逃さぬように観察していた戸陰だが、それ故に微かに聴こえた少女の悲鳴にすぐに気づけなかった。
「あッ、紫鳳先生ッ」
真矢だけが反応して、次の瞬間には駆け出していた。慌てる牛田を置き去りにして、どんどんと悲鳴のした方へと加速していく。
それに遅れて戸陰も走り出すのだが、見失わないように付いていくのが精一杯だった。
向かう先には木々に囲まれた大きな公園があった。手前には噴水が設置された広場がある。そこから三方へと石畳の道がのびていた。
周囲に人影はなく、生い茂る木々で街灯の明かりが遮られて公園の奥は暗くて見通しも悪い。
(どこにいるの……)
すでに少女の悲鳴は聞こえなくなっていた。焦りの表情を浮かべた真矢は、懸命に視線を走らせる。
そこに、ようやく戸陰が到着すると、わずかに息を乱しながらも真矢の様子から素早く状況を判断していた。
「僕がこっちを調べましょう」
「は、はいッ、では、私はこちらに行きますッ」
戸陰の提案で二手にわかれると真矢は公園の奥へと向かった。
足音を忍ばせ、気配を探りながら進んでいくと、わずかな物音を耳にする。慎重に藪の向こうを覗いた彼女は、男に羽交い締めされて引きずられていく少女を発見した。
その奥には、公園に隣接した道路に停められた白いライトバンが見える。車内にはグッタリと横たわる、もうひとりの少女の姿も確認できた。
――ドクンッ
その光景に真矢の脳裏にフラッシュバックする記憶があった。
かつて空手少女だった真矢に、つきまとっていた蛭田(ひるだ)という熱狂的なファンの男がいた。
昼夜つけまわしてストーカー化すると精液の詰まった瓶を送りつけるなどの奇行を繰り返した男だった。
警察が蛭田を突き止めて忠告をするも、逆に真矢を拉致しようと凶行にでたのだ。
雨の降る夕方、部活から帰宅する真矢を待ち伏せすると、レインコートのフードを深々と被って近づいてきた。
すれ違い様にスタンガンで麻痺させた真矢を用意していたライトバンに真矢を押し込み、素早く手足を縛り、ダクトテープで目と口を塞いだ。
そのまま車で発進させて連れ去ってたのだが、幸い近所の住人が犯行を目撃していたために、すぐさま通報された。
警察の検問によって逃亡を阻止された蛭田は、逮捕されるまでも激しく抵抗した。
ナイフを振りかざして何人もの怪我人をだすと、最後には真矢にナイフを突きつけて無理心中まではかろうとしたのだ。
その状況に発砲もやむ無しと判断した警察によって肩を撃ち抜かれ、ナイフを取りこぼしたところを警官たちに取り押さえられた。
幸い軽症で保護された真矢であったが、その事件は彼女の心に大きな傷の残すこととなり、その後の引退を決意させる切っ掛けにもなったのだった。
――その時の記憶が恐怖とともに鮮明によみがえっていた。
動悸が止まらず、吹き出した大量の汗が肌を滴り地面に落ちていく。
ガクガクと震えだした膝が、今にも崩れ落ちそうだった。
(――ッ、落ち着いてッ、大丈夫、大丈夫よッ。もう、あの時の弱い私ではないわ)
恐怖に押し潰されそうになる自分を必死に鼓舞して耐えてみせる。
一方で瞼を閉じると大きく息を吐き出していく。息吹きと呼ばれる呼吸法で精神統一をはかっているのだ。
すると、脳裏を埋め尽くしていた恐怖の光景が、ひとつ、またひとつと消えていくのだ。
そうして最後に不気味に笑う蛭田の顔が消え去ると、乱れていた真矢の心は落ち着きを取り戻していた。
再び、瞼を開いた時には身体の震えは止まり、その瞳には闘志が宿っていた。
(よし、いけるッ)
恐怖を拭い去った彼女の行動は早かった。藪を飛び越えて一気に少女までの距離を駆け抜ける。
突如現れ、疾風のように迫る真矢に男たちが気づいた時には、少女を羽交い締めしている男を間合いに入れていた。
「なんだ、テメェ、邪魔するのかよぉ」
チノパン姿の男が鬼のような形相で恫喝すると、抱えていた少女を放り出して殴り掛かってくる。
真矢は動じることなくそのまま距離を詰めると、踏み出してきた相手の足の甲を踏み抜いた。
骨が砕けるかという激しい痛みに歪む男の顔を掌底で打ち上げ、続いて鳩尾に肘打ちをめり込ませる。
「――がはッ」
「まずは、ひとりッ」
胃液とともに胃の中身を吐き出しながら男が崩れ落ちていく。その横を抜けて次の目標へと向かっていく。
「なんだぁ、女になんか負けてやがって……んん? よく見りゃ、すげぇ美味そうな女じゃんッ」
「へへッ、こりゃ、今夜は大漁だな。仲間集めて輪姦パーティーで盛り上がろうぜぇ」
ライトバンから降りてきたのは二人の男だ。無精髭を生やしたサングラスの男と迷彩柄のズボンを履いた男だ。
彼らは相手が女、それも息をのむような美女だとわかると厳つい顔を崩して舌舐めずりをする。
下卑た笑いを浮かべた迷彩柄の方が、スタンガンを取り出して迫ってきた。
「オラオラッ、痺れちまうぞぉ、格闘技を少しはやるようだが、こいつで麻痺させてから犯してやるよぉ」
バリバリと火花を散らすスタンガンで牽制しながら恐怖を煽る一方で、男は興奮を高めているようだった。ズボン越しにも男が勃起しているのがわかった。
嫌悪の表情が真矢の美貌に浮かぶ。上着を脱ぐと
腕に巻き付けて男と対峙した。
そうして、スタンガンに注意しながらも視界の隅ではライトバンの男を捉えていて、チャンスを伺っていた。
まだ男たちに余裕があるうちは良い。だが、時間が掛かれば少女たちを人質に取られる懸念があった。だが、ライトバンまでまだ距離があり、サングラスの男の注意を逸らせる必要があった。
その策を思案していた真矢は、車の背後から近づいてくる人影に気がついた。
「おい、あんまり遊ぶなッ、人がくる前にとっとと終わらせろッ」
「チッ、あぁ、わかったよ」
どうやら車に残ったサングラスの男がリーダー格なのだろう。時間をかける迷彩柄の男に苛立った様子で、ズボンからバタフライナイフを取り出した。
車内で横たわる少女の近くで、刃を取り出してはチャキチャキと金属音を立てる。
それは真矢の注意をひくための行動だったのだが、迷彩柄の男は急かされたと焦ったようだ。動きが大振りで単調なものになっていた。
それを防戦一方といった風に装いながら、真矢は徐々にライトバンとの向きを調整していた。
だが、次の瞬間に真矢は脚を滑らせたのか体勢を崩してしまった。
その隙を相手は逃さなかった。スタンガンを喰らわせようと一気に間合いを詰めていた。
「やったかッ!?」
車の方からは迷彩柄の男の肩越しに真矢が見えていた。突きだされたスタンガンを喰らって、彼女が前のめりに男へと寄りかかっていく。
その光景に喝采をあげるサングラスの男だが、その不意をつくように車の陰から飛び出してきた者がいた。
――それは戸陰だった。
その手にはズボンから抜き取ったベルトが握られていた。それを鞭のように唸らせると、見事にナイフを持つ男の手に直撃させたのだ。
「ぐあッ……こ、この野郎ッ」
ナイフを落とした男が憤怒の形相で戸陰を睨み付けると無事な手で胸ぐらを掴んできた。
だが、ピンチであるはずの戸陰は冷笑を浮かべているのだった。
「テメェ、なに笑ってやがるッ」
そこまでで注意を引ければ充分だと彼は判断していた。事実、次の瞬間には目の前の男は吹き飛んでいた。全力疾走からの真矢の飛び蹴りを喰らった。
そのままの勢いでライトバンに激しく叩きつけられると男はズルズルと崩れ落ちていく。
それを見下ろしながら戸陰は乱れ襟元をなおすと、先程まで真矢がいた場所へと目を向けた。
そこには真矢の代わりに迷彩柄の男が倒れていた。カウンターの膝蹴りを股間に受けて悶絶したところを、逆に真矢がやられたと装って油断を誘ったのだ。
それぞれの機転によって得た勝利といえるだろう。ふたりは顔を見合わせると自然と笑みを浮かべあうのだった。
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