漆黒の獄舎

【1】 獲物を狙う狩人

 深夜の路上に停車されている濃緑のプリウス。その運転席からカメラを構える女がいた。
 背中まである黒髪を首の後でまとめ、月明かりの下でもハッとする美貌の持ち主だった。
 彫りの深い顔立ちで、キリリとした眉と切れ長の目が野性味を感じさせており、獲物を狙うスナイパーの如く鋭い眼差しでファインダーを覗いていた。
 彼女が見据えるのは夜の繁華街の片隅にある黒塗りのビルであった。
 メイン通りから離れた場所に建ち、周囲の人通りも少ない。時折、顔を赤らめた千鳥足のサラリーマンたちが最寄り駅に向かって通り過ぎていくぐらいだ。
 五階建て相当の高さで真っ黒な表面には窓ひとつなく、一階に間接照明で照らされた木目調の自動ドアがあるのみの殺風景な建物だった。
 そんな場所に黒塗りのハイヤーがやって来て、乗客を降ろして去っていく。その人物を望遠レンズで捉えるとシャッターを押していった。

「今のは俳優の高過 翔吾(たかすぎ しょうご)ね。派手な服装をして、あれで変装してるつもりかしら」

 大手芸能事務所が売り出し中の若手アイドルグループのリーダーで、フード付きのコートを羽織った若い女性の肩を抱いてビルの中へと入っていく。
 クールな顔立ちが若い女性に人気で、歌手としても評価が高い。だが、女癖が悪くトラブルを起こしては事務所が揉み消しているとの情報を掴んでいた。
 しばらくすると同じような黒塗りのハイヤーが止まっては、乗客を降ろしていった。今度は高級そうなスーツを着こなした青年で、テレビの法律相談番組で見掛けたことのある顔だった。
 先のアイドルと同じくフード付きのコート姿の女性を連れてビルの中へと消えていった。

「確か加地(かち)弁護士だったよね……その前の車では若手の静馬(しずま)代議士が降りてたし、やっぱり情報通りにこのビルがそうなのね」

 彼女こと宇佐美 翠(うさみ みどり)は主に芸能人をターゲットとしたフリーカメラマン、俗に言うパパラッチだった。
 元は大手出版社に所属していたカメラマンだったが、モデルを目指していた妹の楓(かえで)がファンだったアイドル、豪多 隼人(ごうだ はやと)にレイプされるという痛ましい事件にあった。
 事件後に加害者であった豪多は雲隠れし、暴行事件の記事も上からの圧力で握り潰されてしまった。
 弁護士を通して芸能事務所から大金が振り込まれ、公にしたくない楓の意思を尊重して示談に落ち着くことになった。
 だが、楓はモデルを諦め実家に引き籠り、犯行に及んだアイドルは捌きを受けずに芸能界に復帰していた。その男の顔を画面で見かけるたびに激しい怒りを覚える翠であった。
 翠はそれを契機にフリーに転向して芸能人を追うようになった。
 独自で構築した情報網を駆使する彼女によって暴かれた芸能人のスキャンダルは数知れず、その美貌と相まって業界では知る人は知る人物になっていた。
 そんな彼女が新たに掴んだ情報は、芸能人や著名人が足蹴に通うハプニングバーの存在だった。
 潔癖を商品価値とする彼らは、ちょっとしたトラブルでも芸能生命に関わる。特に異性との交遊関係は危険で、それによって芸能界から去らざるおえない事態に発展することも少なくない。
 そんな彼らに羽目をはずす場を提供しているハプニングバーが、目の前のビルにあるというのだ。
 だが、書類上ではビルには店舗などはなく、個人の邸宅ということになっているのだが、ダミー会社を挟んでいて正確なことはわかっていなかった。
 確実なのは、週末の夜になると先ほどのように次々と女性同伴で若い芸能人たちが集まるのと、紹介状を持つ者しかビルには入れないという事だった。

「ふぅ、今回はここまでね」

 見上げれば空が白みはじめていた。翠はカメラを助手席のケースに仕舞うと車を静かに走らせる。
 ビルの隙間から朝日が射し込む通りを、わずかなモーター音をたててプリウスが走り去っていく。
 それをずっと物陰から見つめていた人物がいた。



 張り込みと調査を続けていた翠の元に、一本の電話が来たのは、それから一ヶ月後だった。
 着信を知らせる画面に表示された名前をみて、翠は露骨に顔をしかめる。
 しばし躊躇した彼女だが、鳴り続けるコール音に根負けして電話を受けた。

「チッ、でるのがおせぇなぁ、間違い電話しちまったかと、ハラハラしたぞッ」
「……なんか用ですか?」
「相変わらず冷てぇ反応だなぁ、まぁ、そこも含めて俺はバニーちゃんのことが気に入ってるけどなぁ」

 冷えきった翠の声に動じることなく、がははッとダミ声で相手は笑う。
 その勘にさわる笑い声と不快なあだ名に、みるみる不機嫌になる翠であった。

「それじゃ、さよなら」
「っと、待て、待てッ、いい話があるんだよぉ」
「結構ですッ」
「待てって、黒いビル……探ってるんだろう?」

 その言葉に、通話を切ろうとしていた翠の指が止まる。彼女の注意を引くことを確信した嫌な含み笑いがスピーカーから聞こえてきた。
 何でもお見通しといった相手の態度が気に入らない翠であったが、同時に相手の能力の高さも知っているだけに、余計に腹が立ってしまう。
 相手は大手出版社時代に同じ部署だったこともある記者の根津(ねず)であった。
 背が低く、禿げ上がった頭を残った髪でバーコード状に取り繕っている中年男で、やや出っ歯な前歯と痩せた顔立ちからネズミを連想させる顔立ちだった。
 いつも暇そうにポルノ雑誌を眺めては、夜になると会社の経費で飲み歩いているような駄目な男なのだが、時折、他社を出し抜く大スクープをあげるものだから会社でも扱いに困っている存在だった。
 何度かカメラマンとして取材に連れ回されてはセクハラを受けたこともある。そのたびに護身用に身につけた格闘術で返り討ちにしていた。
 だが、あるスクープをあげた祝いにと無理矢理付き合わされた酒の席で、ひどく酔ってしまったことがあった。気が付いた時にはラブホテルのベッドの上で、危うく犯される寸前だったのだ。
 酔った翠に誘われたんだと言い張る根津を殴り倒して逃げたのであったが、後で思い返せば睡眠薬を盛られた可能性もあった。
 その後は部署も変わり、近づいてこないので不問としたが、翠が警戒するのも当然な相手であった。

「あれをよぉ、俺も別件で関わっててなぁ、あそこに若手代議士先生も通ってるだろう?」

 政財界の大スキャンダルを何度も記事にしている根津だ。今回もそれを追っているのかもしれない。
 何度か取材に同行してわかったことだが、粗暴なように見えて意外に思慮深い男だった。緻密な取材を積み重ねて、周到に準備を進めて一度獲物に喰らいついたら離れない。そんなところは少なからず、今の翠の取材姿勢にも影響を与えていた。
 それに先日の張り込みでも根津が言った若手代議士がビルに入るのを確認していた。そのため、彼がする話の信憑性が高そうだと感じられた。

「……で、俺の手元には、あのビルに入れる招待状があるんだが、なにぶん女の……それも美人の同伴が必要でなぁ……」

 そこまで聞いて翠も合点がいった。あのビルに入るのに協力して同伴しろというのだ。

「あー、あれだ、前のホテルでのことは悪かった、あやまる。それによぉ、美人ばかり入っていくあの場所に、飲み屋の姉ちゃんじゃダメだろ? その点、お前さんなら女優にもひけはとらない美貌だから安心できる」

 謝罪と褒め言葉を繰り返す根津。相変わらずベラベラとよくまわる舌に呆れを通り越して感心してしまう翠であった。
 飲み屋の代金を会社の経費で落とすときも、こうやって上司や経理担当を丸め込んでいたのを思い出す。

「はぁーッ、今回だけですからね……」
「おぅ、恩にきるぜッ」
「ただし、また変なことしようものなら……」
「あぁ、わかってる。今回は気を付けるよ、また痛い目にあうのはこりごりだからなぁ。ということで、今週末に頼みたいんだが、詳細はまた連絡する」
「ちょ、ちょっと……」

 返事も聞かずに通話を切られてしまう。言いたいことだけ一方的に話して去っていくのも、同僚だった時に散々経験させられていた。
 だが、行き詰まっていた取材に光明がさしてくれたのは、正直なところありがたかった。

「まずは、カメラをどうするか考えないとね」

 堂々とカメラを抱えては、流石に入れないだろう。
 期日もあまりないことから、翠はすぐにその対策へと動き出すのだった。





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