強者の定義 狙われた教壇のヴィーナス

【2】 待ち構える卑劣な罠

「天羽先生ッ」
「あら、紅樹さん」

 4時間目の授業を終え職員室へと戻ろうとしていた瑠華は、背後から声を掛けられ振り返ると、そこには紅樹 琴里(こうじゅ ことり)が愛嬌のある笑みを浮かべて立っていた。
 小柄な躰にクリクリっとした黒目がちな瞳、肩まである猫っ毛、コロコロと表情が変わる愛嬌ある顔立ちから、どこか愛玩動物のような印象を受ける少女だった。
 この子も、春からの転入生で、長らく海外に暮らしていた為、瑠華以上に流暢な英会話ができる子だった。
 そんな彼女であったが、初めて受けた瑠華の授業に感銘を受けたらしく、それ以来えらく瑠華に懐いていた。
 それと共に、普段から喋ってないと忘れてしまいそうでという琴里の要望で、瑠華は時々、彼女の英会話の相手もしていた。いろんな国々を転々としていたらしい琴里は、スラングや、細かい各国の癖まで把握しており、彼女と会話する事は、瑠華にとっても刺激となっていた。

「よかったら、ランチをご一緒しませんか?」
「じゃぁ、いつもの場所で、先に行っててね」

 だから、こうして暇さえあれば、瑠華の担当部屋である英語準備室で、ランチやお茶を楽しみながら談話に勤しんでいた。



『えーッ、彼氏さん、また海外出張ですかッ!?』
『そうなのよ。まぁ、部署一番のやり手らしいから、あっちこっちからヘルプを求められちゃうのは、今に始まったことじゃないんだけどね』

 琴里と英語で会話しながら、瑠華は肩を竦め苦笑いを浮かべた。

『でもでも、折角、婚約したっていうのに、全然、一緒にいれてないじゃないですかッ』
『はぁーッ、そうなの……いっそ、教師を辞めて、彼と一緒に世界を飛び回っちゃおうかしら』
『またまた、そんなこと言っても、瑠華さんが簡単に教師を辞められないの知ってるんだからッ』
『あははは、琴里ちゃんには、いろいろ見抜かれちゃってるわね』

 一人っ子で、今は海外にいる親元からも離れ一人暮らしをしている琴里は、瑠華の事を姉のように慕っていた。
 そんな瑠華も天涯孤独の身故に、その寂しさを知っており、すっかり打ち解けた琴里をまるで本当の妹のように想っていた。
 だから、いつしかお互いの相談相手にもなっていたし、休日には共にショッピングを楽しむような姉妹のような関係になっていた。
 
『そんな時はパーっと遊びに行こうよッ、それともアルコールの方がいい?』
『ありがとう、でも、日本ではお酒は二十歳になってからね』
『えーッ、つまんなーいッ!!』

 プーっと頬を膨らませる琴里の姿に、プッと瑠華は吹き出し、笑い始めた。
 そんな彼女の様子を見ると、琴里もケラケラと笑うのだった。

『もぅ、いつも元気をありがとう』
『いえいえ、いつも美味しい夕食をご馳走になってますから、出来れば今夜も頂けると……嬉しいかなぁっと』
『もぅ、また今月もピンチなの?』

 パシッと掌を合わせて拝む琴里に、瑠華は苦笑いを浮かべた。
 琴里は時々、こうして仕送りを使い込んでしまって月末に財政がピンチになると、瑠華に夕食をたかっていた。
 一方、ずっと幼い頃から一人で生活していた瑠華にとっても、誰かと一緒に夕食を食べるのは、凄く嬉しいことだったので、文句を言いつつも内心では歓迎していた。

『もぅ、しょうがないわね。ちゃんと調理を手伝うのよ』
『はーい、ついでに週末だから、お泊りでもいいですかッ?』

 涎を垂らさんばかりに口元を緩め、目をキラキラさせる琴里に、瑠華は苦笑いを浮かべると、しょうがないわねぇっと了承するのだった。



「あちゃ、遅くなっちゃたなぁ」

 瑠華が手元の時計を確認すると、既に夜の10時を過ぎていた。

「とはいえ、お父さんの旧友である学園長の直々の頼みとなると……断れないわよねぇ」

 急に頼まれた資料庫の整理で、随分と時間がかかってしまっていた。
 琴里には遅くなる旨を、事前にメールで伝えておいてあるが、お腹を空かせて待っているだろう彼女の為に、瑠華は帰路を急いだ。
 この時間にもなると学園内は人気がなく、暗く静まり返った敷地内をひとり小走りに歩いていく。
 そんな彼女の進路を塞ぐように、物陰から2人の屈強な男たちが突然現れた。
 気が付けば、背後にも同様に2人の男が退路を塞ぐように現れており、彼らは一様に黒いツナギのような服を着て、ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべている。

「……なにか御用かしら?」

 そう口に出してみたものの、男たちが瑠華を待ち伏せしていたのは明らかだった。

――猩々緋親子の周囲では、美人と評判の女性が暴行されたとか、拉致されたとか、犯罪まがいの黒い噂が絶えない

 恋人が話してくれた噂話が脳裏を掠めるのだが、瑠華はすぐにその口元に不敵な笑みが浮かべると、腰を軽く落とし戦闘態勢を取った。
 その瑠華の反応に、男たちはムッとした様子で、全員が腰から警棒のような物を手にすると、手元のスイッチを押した。途端、その先端部分からバチバチと火花が散る。
 それを目にした瞬間、すでに瑠華は行動に移っていた。
 クルッと背後を向くと、密かに忍び寄っていた男への間合いを一気に詰める。突き出された電撃ロッドの下を潜り抜け、カウンターのように相手の顔面に掌を当て、そのままの勢いで相手を押し倒した。
 コンクリートのタイルに後頭部を打ち付けるゴツッと鈍い音を背後に聴きつつ、もう一人の男へと迫る。
 電撃ロッドをチラつかせフェイント繰り出しつつ中段蹴りを放つ2人目の男。その蹴りを軽く受け流し、がら空きになった背面から両肩に手を添えて引く。重心を崩されて、屈強な男が面白いように倒された。
 瞬時に2人の暴漢を片づけた瑠華。彼女が、残りの男たちを倒すのに、それから数分もかからなかった。

「さーて、警察で詳しくいろいろ説明しちゃってくれるかしら」

 コンクリートのタイルの上でのびる男たちを見下ろし、瑠華は懐からスマートフォンを取り出す。

――♪〜

 だが、そのスマートフォンは彼女が通話しようとする前に、着信を知らせるメロディを奏で始めた。画面表示を確認すると、それは琴里からの着信であった。

「あぁ、琴里ちゃん? 遅くなっちゃってゴメンねぇ」
「……流石ですね、天羽先生」

 だが、耳元に当てたスピーカーから聴こえたのは琴里の声でなく、男の声だった。

「――ッ!? だ、誰なの!!」
「そんな事より、聡明な貴女の事だ。紅樹さんの携帯からなぜ僕が話しているか理解できると思いますが?」
「琴里ちゃんは! 紅樹さんをどうしたの!?」
「今の所、無事ですよ。貴女が僕の言うことを聞いてくれればね」
「――ッ!?」

 焦る瑠華とは裏腹に、相手はひどく醒めたように淡々と話し続ける。

「取り敢えず、学園中央の時計塔まで来てください。校門近くのそこからだと全力疾走で5分といったところでしょうか。1秒でも遅れたら……説明はいらないですよね」
「――なッ、ふざけ……」
「そうそう監視はしてるので、余計な事はしないように……では、スタートです!!」

 そう言うと、通話は一方的に切られてしまった。
 瑠華は焦ったように時計塔へと視線を向ける。確かに5分でなんとか行ける距離だろう、走るのに適した服装であればの話だが……。
 だが、迷ったのは一瞬だった。上着を脱ぎ、走るのに向かないパンプスをも脱ぎ捨てる。更にはタイトスカートの裾を掴んで無理やりビリビリと裂け目を入れると、全力で時計塔に向けて駆け出していた。



「はーッ、はーッ、はーッ……」

 汗をダクダクと垂らしながら瑠華が時計塔に到着したのは、指定時刻の10秒前だった。
 時計塔の背面にある鉄扉が開かれている。迷わずその中へと駆け込むと、パチパチと拍手の乾いた音が彼女を出迎えた。
 瑠華が息を整えながら、そちらを見る。その視線の先、照明の影に隠れるように一人の人物が立っていた。

コツ、コツ、コツ……

 ゆっくりと光の円の中へと歩み出てくるにしたがい、その容貌が露わになっていく。
 その人物は、黒縁眼鏡をかけたクセ毛の素顔が露になると足を止めた。

「やっぱり貴方だったのね……常磐 颯二くん」
「バレてましたか、声色を使ったつもりでしたが……流石は、天羽 瑠華先生」

(この少年が関わっているってことは、やはり猩々緋の……)

 周囲を警戒する瑠華の様子に、常磐はフッと僅かに口元を緩めた。

「えぇ、恐らく貴女のご想像通りですよ。噂は事実で、今、貴女が狙われてます。でも、貴女の態度次第では、その犠牲者が2人になりますけどね」

 そう言うと、背後に隠していた大型タブレットを取り出し、その画面が瑠華によく見えるように持ち直す。
 そこには、椅子に縛り付けられた琴里が映し出されたいた。服が剥ぎ取られ、レモンイエローの下着姿であった。

「――琴里ちゃん!?」

 画面では、口枷を噛まされた琴里が、画面に向かって言葉にならない呻きをあげ、必死に左右に首を振り続けていた。

「ちなみに、今の貴女の姿も、あちらから見えるようになってます」
「――くッ!!」
「月並みで申し訳ないのですが、貴女が僕の言う事を聞いてくれないと、もれなく彼女がヒドイ目に合いますが……言う事を聞いてくれますか?」

 瑠華に誤算があった。目の前に琴里が人質になっているのであれば、隙あらば奪還しようと思って乗り込んできたのだ。だが、彼女と分断されては手の出しようがなかった。
 目の前の少年を人質に取り交渉するのも考えられたが、肝心の主である猩々緋の姿が見えなくては、交渉のしようもなく、場合によってはこちらのカードを切り捨てられてしまう可能性すらあった。

(今は、打つ手なし……か……)

 状況を理解すると、ますます人質という卑怯な手を使ってきた猩々緋が許せなかった。

(それでも、今は……)

 グッと唇を噛み締め、怒りを噛み殺すと、瑠華はゆっくりと口を開いた。

「……いう事を……聞くわ」

 何とか言葉を搾り出すが、悔しさと怒りで肩が震えてしまっていた。
 だが、目の前の少年は大きくため息をつくと、首を左右に振った。

「ダメですね。貴女は状況を理解しきれてないようです。立場はこちらの方が今は上なのですよ? もっと誠意をもって接したらどうですか?」
「――なッ!?」

 相手の無茶苦茶な理屈に頭が怒りでクラクラとする。
 こみ上げる怒りの為に、僅かに顔を赤く染めて肩を震わせる瑠華。その態度に、常磐は再び大きなため息をついた。

「やれやれ、できないのでしたら紅樹さんには、少しヒドイ目に……」
「ま、まって!!」
「……まって?」
「くッ! ま……待って……ください……」

 瑠華は拳を痛いぐらい強く握り締め、吹き出しそうになる怒りを必死で押さえ込んだ。

「まぁ、いいでしょう。で……どうされますか?」
「言う事を聞きます。聞きますから……琴里ちゃんを開放して……下さい……」

 卑怯な手を使う年下の少年にへりくだらねばならない、その屈辱に、瑠華の目尻には涙がうっすらと浮かんだ。

「それは、貴女の態度次第ですね」

 そんな彼女の様子を少年は淡々と見つめ、僅かに口端を吊り上げるのだった。





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