気高き心は砕かれて、欲望の昏き水底へと沈められる
【7】欲望の昏き水底へと沈む
地下水路の暗闇に紛れて進んでいた人影を四方から強烈なライトの光が照らしだす。
そこには全身黒ずくめの男が立っていた。
向けられた無数の銃口に手にしていた銃器を足元の水路へと投げ捨てる。
すぐさま何人もの男たちが走り寄り、身柄を拘束するとともに被っていた穴あき帽を剥ぎ取った。
そこに居たのはロドリゲスの愛車であるロールスロイスの専属運転手であった。
「お前だったとはな、エリンケ……すっかり騙されていたよ」
目の前の青年に、かつてカルロスの警護チームに所属していた少年の面影を感じさせた。
だが、普段は微妙に髪型や表情で意識を逸らさせていたのだ。
「ルイザたちを逃した後は行方不明だったが、密かに俺の懐に潜り込む準備をしていたようだな」
「あぁ、専属の運転手になったが毎回、乗る前に厳重なチェックをされたんじゃ、なかなかアンタを殺すチャンスは来なかったよ」
「それで正体がバレそうになって単身でルイザを助け出そうとするとは、最後はツメが甘かったようだな」
勝ち誇るロドリゲスを、エリンケは逆に鼻で笑ってみせる。
絶対絶命のピンチであるのに、相手の顔に恐怖がないのにロドリゲスは気がついた。
彼の身柄を取り押さえていた一人が顔色を変えたのは、その時だった。
「こ、こいつ、爆弾を巻き付けてやがるッ」
その叫びに騒然となる配下の男たち。その隙をついて取り押さえる腕を振り払い、エリンケが懐に隠していたスイッチに触れようとする。
――ドンッ
次の瞬間、重々しい銃声とともに彼の指先ごと胸に大穴が空いていたのだ。
その正面には噴煙をあげる大型銃を手にしたワイズマン大尉がいた。
彼が銃を腰のホルスターに戻すと、エリンケは前倒れになって水路に水柱をあげるのだった。
「ボーナスを期待しているぞ」
「わ、わかっている。お陰で厄介事は全てかたずいたしな」
爆破寸前での慌てようを誤魔化すようにスパスパとタバコを吸い始めたロドリゲスに、ワイズマン大尉は目を細める。
「な、なんだ、なにが言いたい?」
「いや、女には気をつけた方がいい……これは友人としての忠告だ」
アリシアへの傾倒ぶりにさしての言葉だった。
ちゃんとした治療を受けられて彼女は見違えるように元気になっていた。
屋敷が襲撃された頃は幼子だったためか両親の記憶も朧げで、物心ついた頃から暗い地下室に潜む辛い逃亡生活から開放されたことを喜んでいるようなのだ。
そのために驚くことに親の仇であるロドリゲスに感謝してみせる。
そればかりか、恋する乙女のように頬を赤らめて照れているのだ。
そこに彼女の母親の面影を重ねて有頂天になっていたのだ。
今では土産を片手にアリシアの元へと足蹴に通う毎日だった。
「まぁ、俺は貰えるとものを頂ければそれで良いがな」
忠告は無駄に終わりそうだと確信したワイズマン大尉は、その場を後にするのだった。
それから数年が経過していた。
成人したアリシアと見事に結ばれたロドリゲスは、人生を謳歌していた。
ふたりは今や国で最大の犯罪組織のボスであり、その情婦であるのだ。
莫大な富に囲まれて贅沢三昧な日々を送り、すっかりルイザのことは忘れ去られていた。
ふと思い出して聞けば、エリンケの死を知って完全に麻薬に溺れたらしい。
身を崩して見るも無惨な姿だと聞かされて少しだけ興味をもった。
(妹のアリシアが今の姉をみて、どんな反応をするのか気になるな)
好奇心に駆られて、久しく訪れていなかった魔窟へと足を踏み入れた。
すると、ひとりの女が駆け寄ってきた。
「ア、アリシア……」
涙を浮かべてフラフラと寄って来た女が、ロドリゲスも最初は誰か気づけなかった。
全身に刺青とピアスをつけた女は、幽霊のように青白い顔色を誤魔化すために安物の化粧品を分厚く塗りたくり、鼻が曲がるほど香水を振りかけていたのだ。
目の前に立った女にギョッとさせられるアリシアだが、その瞳で姉だとわかったのだろう。
だが、次の瞬間には顔には嫌悪を浮かべていた。
「こんな女なんて知らないですね……えぇ、会ったこともないですよ」
吐き捨てるように言い放つと機嫌悪く、その場を離れていった。
最愛の妹にバッサリと切り捨てられて、ルイザは膝から崩れ落ちていく。
その絶望した様子を見届けて、ロドリゲスは溜飲が下がる想いだった。
晴々とした表情でアリシアを追いかけるのだった。
アリシアがロドリゲスの子を身籠ったとの一報が広まったのは、それから暫らくしてからだった。
部下からその情報を聞いたワイズマン大尉は、わずかに眉をひそめた。
それを眺めていた副官が不思議そうに尋ねてくる。
「吉報ではないですか、なぜ、眉をひそめたのですか?」
彼の疑問はもっともだろう。
それに対してワイズマン大尉は、あくまで可能性の話だがと釘をさしてから自分の考えを口にする。
「裏切りで成り上がったロドリゲスは配下の誰も信じていない。すべての権力を自分に集約しているような奴だ」
「えぇ、組織としては歪ですが、ボスが強大な権力を持ちますよね」
「あぁ、そういう権力者は、得てして身内に次の権力者の座を引き継がせたいと思うのは、時代が証明している……なら、仮に生まれてきた子に継がせてロドリゲスが死ねば、カルロスの血筋が組織を支配することになるわけだ」
彼によって爆破未遂に終わったエリンケ。だが、その死顔は失敗に悔しがるものではなかった。
だが、もしそれが計画的なものだとしたら、姉であるルイザは捨て駒にされた事になり、とても正気の沙汰ではない
「それって……ある意味では組織の奪還とも取れますね」
「あぁ、だがあくまで可能性の話だ……どちらにしても、友人としては忠告はしたんだ。外様の俺たちには関わりのない話だよ」
そう告げると二人は気持ちを切り替え、新たに飛び込んできた依頼に関してのブリーフィングを開くのだった。
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