淫獣捜査スピンオフ 双極奴隷たちの調教クルージング2
【1】監視する者たち
大西洋を南下する一隻の船があった。
比較対象するものがない海洋では小さく見えるが、純白に染め上げられた船体は三百メートルを遥かに超える大きさがある。
内部には十八ものフロアを持ち、ちょっとしたビルディングに相当する高さだろう。
――純白の乙女号
それがこの船の名前だった。世界屈指の規模を誇る超大型客船でありながら、どこの旅行会社に問い合わせても乗ることはできない。
それは純白の乙女号が個人で所有するプライベート船であるからだ。そのために主によって招待された者にしか搭乗が許されていないのだった。
しかもその人物は数々の大手メディアを牛耳る資産家であるとともに、裏社会にも顔のきく大物なのだ。
あらゆる情報が収束する彼の元には各国要人のスキャンダラスなネタも集まってくる。それを元に圧力をかけれるために、あらゆる法の外にいる存在となっているのだ。
その結果、この船には司法の目が届かない。ここでは船主が定めたルールがすべてであり、現世からは完全に切り離された異空間なのだ。
それを利用して船内では表の世界ではできないような様々な密会や取引が行われており、各国の諜報機関も出入りしている人物を厳重に監視しつつも指を咥えて見ているしかないのだった。
今もまた遥か上空、高度百五十キロの衛星軌道上からこの船を見守る目が向けられていた。
KH−13と呼ばれるアメリカ国家偵察局(NRO)が運用する偵察衛星だ。
その画像解析能力は地面に置かれた書籍の文字すらも鮮明に読み取れるといい、その能力をフルに活用して純白の乙女号を監視しているのだ。
その情報は国内の各諜報機関に共有されており、CIAのボブ=ホワイト課長もそれを閲覧できるひとりだった。
二重顎の丸々と太ったボディから”ファットマン”や”ハンプティダンプティ”と呼ばれている黒人男性だ。
専用のオフィスでシートに身を埋めて、壁に設置された大型モニターを見つめている。
同席しているのは秘書の白人女性がただひとり。画面を見なが黙々とキーボードを叩いている音が室内に響いていた。
「ドイツで見失った奴も乗船してきたか……」
メガネのレンズ越しに、肉厚の瞼が覆いかぶさる糸ような目が開かれる。
モニターに映し出されているのはティルトローター機だ。航空機とヘリコプターの両方の機能を併せ持ち、大国を中心に配備が進められている最新鋭機だ。
それが甲板に着陸すると、後部ハッチを開いていた。止まらずにいるローターの強風が吹き上げる中、降りてきた人物にズームしていく。
頭上からの映像がAIによって処理されて立体的に加工されると、白スーツを着込んだ東洋人だと認識できる。
並行して行われていた照合によって、人物の詳細な情報もすぐに表示された。
――紫堂 一矢(しどう かずや)
かつては極東のいち暴力組織の幹部だった人物で、海外に出奔してから頭角をあらわしはじめた男だ。
今では南米を中心に勢力を広げている犯罪組織の大幹部にまで出世しており、凄い勢いで広まっている新型麻薬の製造と流通にも関わっているとの情報から、近年、CIAの監視リストにも登録されている要注意人物だ。
神出鬼没であり、ようやく約一ヶ月前にスイスに現れるとの情報を受けて監視体制を引かれた。
だが、その監視の目も数日で振り切られてしまい、所在を見失っていた。その男が予想外なところに再び姿を現したのだ。
「えぇい、空港を監視していた連中はなにをしていたッ」
紫堂を降ろした輸送機はそのまま飛び立っていった。それをバックに歩く紫堂はクールな顔立ちと白スーツを見事に着こなす容姿から実に絵になっていた。
青年実業家といった雰囲気であり、彼が犯罪組織の幹部だといわれてもすぐには信じられないだろう。
そんな紫堂は、まるで見られているのを知っているかのように画面を見つめて冷笑を浮かべてみせていた。
「先ほどの機体は民間軍事会社のもののようです。恐らく飛行ルートも正規でないものを使われていると思われます」
「要するに、監視の裏をまんまとかかれたということか……」
紫堂の顔を睨みつけて、ふくよかな体躯を揺らして憤慨する上司とは対照的に、秘書であるヴェルヘルミナ=ブラックは無表情に淡々と報告してくる。
有能で細身の美人なのだが、まるでロボットのように常に冷静沈着に対応することから”アイス・レディ”とのニックネームで同僚から呼ばれる才女だ。
余談だが、そんな彼女の驚いた顔を誰が拝めるかを部署内で密かに賭けられていた。残念ながら未だに成功した者はおらず、積み上がっていく賭け金はかなりの金額になっているのだった。
一見して相反するふたりだが、各国の諜報機関を手玉にとり数々の敵対組織を潰してきた白黒コンビとして周囲から実力を認められている存在だ。
ブラック女史から差し出されたコーヒーを受け取り、ホワイト課長はデスクに置かれている紙箱からドーナツを掴み取りひと息いれる。
「まったく、問題だらけで胃が痛くなるな―――むむむッ、このクリスピー・クリーム・ドーナツの新作、なかなか旨いなッ。ウィルマもひとつ食べてみないか?」
「いえ、結構です」
「むぅ、そうか……ところでフェイルノートの方からはなにか報告はきているか?」
「相変わらずなんと音沙汰もなしです」
ホワイトが抱えているエージェントの中でもとりわけ有能な人物だが、独断専行の多い実に制御が難しい部下だった。
だが、コードネームの元となった必中の弓と同様に狙った獲物を必ず射抜いてきた実力は本物であった。
そんな部下だから報告がないのは順調な証と上司も大して気にしていないようである。すぐに次のドーナツを手に取りながら頭を切り替えていく。
「船に潜入を試みた者たちからも定時連絡はなしか……」
「はい、ですので今できるのは文字通り指を咥えているだけかと思います」
チョコレートコーティングされたドーナツを口に放り込み、指先に残ったチョコレートを舐め取っている上司を冷たく見つめながら美人秘書は告げてくる。
紙箱には十個以上のドーナツが詰められていたのだが、すでに全てが彼の腹の中だ。
定期検診で痩せるようにドクターから忠告をうけたばかりなのを彼女は把握しているのだ。
美人秘書からの咎めるかのような視線から逃れるように視線を窓の外へと向ける。
「さて、どうしたものかな……」
ひとまず欲求を満たせたホワイト課長は満足そうに突き出た腹をさすりながら、その脳裏では次なる手を打つべく策を考えているのだった。
諜報戦が繰り広げられている外界とは無縁に、今日の船内は変わらぬ煌びやかな景色を見せていた。
高級ホテルにも劣らない豪華な調度品に囲まれた船内を着飾った老若男女が行き交い、一流レストランのシェフの料理に舌鼓み打ち、有名アーティストたちの共演ステージに喝采を送っていた。
どの施設でも乗客たちは満足して一様に笑顔を浮かべている。そんな船内で、ひとりだけ不機嫌そうに眉をひそめている人物がいた。
ナナと呼ばれるその女性は、つい半日前まで意気揚々と同僚を責める日々を謳歌していた。
だが、今や立場は逆転して彼女が責められる番となっていたのだ。
「別に責められるのが嫌なわけではないのですよ」
誰に語るわけでもなく、ひとり割り振られた部屋でソファに身を埋めている。
先ほどの言葉はナナが常々周囲に語っていることだ。ナナはサドとして調教をする立場でもありながら同時にマゾの気質も持ち合わせている。
変態紳士の相手をつとめて執拗に責められることも嫌いではなかった。いや、相手次第ではそちらの方が好きなぐらいだろう。
では、なにが彼女を不機嫌にさせているかというと、今回の相手である同僚のシオとは気が合わないというだけなのだ。
シオの立場やこれまでの彼女の身に起こった経緯も知っており、同情している部分もある。それを差し引いてもナナにしては珍しく相手を前にすると不機嫌さを隠せないほど苛立ってしまうのだ。
「自分でも不思議に思うぐらい肌に合わないのです……あの死んだ魚のような目を見ていると、こうイライラしてつい踏みつけたくなりそうですわ」
そう告げる時のナナはニッコリと微笑みながらも、その目はちっとも笑ってはいないのである。
(とはいえ、あの方のお達しでは受けない訳にはいきませんよね)
気乗りのしない心情を心の奥にしまいこみ、ナナは数時間前の光景を脳裏に浮かべる。
主である紫堂と船の持ち主である豪田 剛志(ごうだつよし)が談笑している光景だ。
まるで録画映像を再生したかのように細部まで再現されている。
彼女の特技のひとつである瞬間記憶能力によるものだ。一瞬で見たものを細部まで記憶でき、それを忘れずにいられるため、彼女には顧客リストというものが必要ない。
これに彼女のもうひとつの能力である高い洞察力が加わることで、何気ない仕草などから相手が求めているモノを素早く見抜くことができるのだ。
そうして、相手が求めているものに応じて変幻自在に己を変えていき、心の奥へと入り込んでいく。
彼女に相手をされた顧客たちがハートをしっかりと掴まれ、熱烈なリピーターとなるのにはそういう仕掛けがあるのだ。
(うげぇ、そうでした。あの方もこの場にいらっしゃったのでしたわね)
ソファに座るふたりの背後にいるのは豪田お抱えのメイド服の美女たち。それに交じり、支配人と呼ばれる紫堂の腹心の男もいた。
燕尾服姿の初老の男だ。古くから仕える執事といっても通用しそうな威厳に満ちた雰囲気だ。
男尊女卑の権化のような人物で、規律などにも細かい性格だ。奴隷らしく振舞わないナナの態度が気に障るらしく、なにかにつけて威圧してくるのだ。
その姿をみただけで溜息をつきたくなるナナだから、その存在自体を頭の隅に押しやっていたのだ。
(はぁ、思い出した途端にやる気が半減しますわね)
挨拶代わりに飛ばされてくる鋭い眼光。猛禽類のような鋭い眼から放たれるそれは、常人ならばひと睨みで卒倒させられるものだ。
それをナナは何事もなかったかのように笑顔で受け流してみせていた。
「支度に少々手間取りました。遅れまして申し訳ありません」
「あぁ、構わないよ」
深々と頭を下げるナナに、主である紫堂の方は寛容だった。
一見して白スーツを見事に着こなす知的な紳士だが、その実態は狡猾で残忍な快楽主義のサディストである。
経済ヤクザとして様々な企業を傘下に置き、一流企業へと育て上げて組織に対して莫大な利益を稼ぎ出していた男だが、組織内の抗争によって海外に出奔することになった。
前々から付き合いのあった南米に拠点をもつ犯罪組織に身を寄せると、その手腕を活かしてすぐさま幹部にまで昇りつめてみせた。
今回は新たに買収した医療メーカーの視察にナナとともに欧州へと赴いた彼だが、しばらく単独行動をしていたかと思ったらヒョッコリと豪華客船で合流してきたのだ。
船主である豪田氏とはなにやら商談をしていたらしく、その余興としてナナにシオを数日にわたり責めさせていたのだ。
その光景は船内に設置されているカメラによって剛田氏に中継されていた訳だった。
そのかいがあってか、商談は上手くいったであろうことは機嫌が良い二人の様子から容易にうかがえる。
「そうですよ。何事にも準備は大事ですからね。もし足らぬものがあったら気軽に言ってくださいね」
丁寧な言葉使いで紫堂に同調してくる豪田。こちらは見上げるような巨漢の人物で、三人掛けのソファであっても彼が座ると実に窮屈そうに見えてしまう。
手にする専用のティーカップはまるでラーメン丼ぶりのようなサイズであり、周囲にある物とのサイズ比で遠近感が狂って自分が小人にでもなったかのような錯覚をしてしまう。
(なにを食べたら、こんなに大きくなるのかしらね)
キャッチャーグローブのような太く大きな手から視線を彼の股間へと移る。布越しでもわかる異様な大きさの膨らみがそこに確認できた。
豪田はメディア王として世界の様々な情報に精通しているだけでなく、その性豪さでも裏世界では有名だった。
常に夜伽には複数の女性を用意しなければ相手が壊れてしまうと噂される理由の一端をナナは理解していた。
そんな彼はメディア王としての立場を利用して世界中の裏の情報も握っている。
各国の権力者を通して圧力をかけれる彼には各国の諜報機関もうかつには手を出せずにいるのだ。
当然のように亡き者にしたい者も多いので、彼がこの船から降りることはまれだ。
こうして生身で対峙できること自体が貴重なことなのだ。
(あぁ、いけませんわ。今は目的が違うのでした)
ナナは無意識のうちに舌なめずりをしてしまっている自分に、内心で苦笑いを浮かべていた。
どうやら傍観していた豪田によってナナとシオの攻守を交替したものも見てみたいとリクエストがあったようだ。
それに対してナナに拒否する権利もないし、する気もなかった。
支配人の影に隠れるようにしてたたずんでいたシオも同様だった。
言われなけれ気付けないほど存在感が希薄で、まるで人形でも立っているかのように気配を感じさせない女だった。
いるだけで周囲の視線を集めてしまうナナを陽とすれば、シオは陰だろう。実に大局的なふたりである。
(でも、その澄ました顔の下に隠された感情を今回の調教で垣間見えたわね)
向けられたガラス玉のような眼を見つめ返しながら、ナナは冷笑を浮かべていた。
その後、豪田の提案によって調教を受けていたシオの体調回復と準備を考慮して三日間のインターバルが持たれることになったのだった。
「さて、どうしましょうか……」
新たな用意された部屋に戻ったナナは、ひとりソファに座り思案にふけていたのだ。
その視線は窓から見える海面と遠くに見える陸地へと向けられていた。
欧州を出立した船は地中海を抜けるとアフリカ大陸に沿うように南下していた。
途中の主だった港に寄港しながらの航行だから随分とゆっくりとした船旅となっている。
今度こそ完全なオフの三日間を与えられたわけだが、普通ならその後のことを考えて心落ち着かないところだろう。
だが、神妙な表情を浮かべていたのもひと時だけで、もまもなく南アフリカのケープタウンに寄港するとの船内アナウンスを聴くと全身のバネを使って立ち上がっていた。
その表情は一転して好奇心で瞳をキラキラとさせて子供のようであった。
「まぁ、なんとかなるでしょう……それより折角の自由時間ですもの、存分に楽しまなければ損ですわよね」
考えてもどうしようもないものは捨て置く。刹那的ともいえるほど頭の切り替えが早いのもナナの特徴のひとつだった。
身に着けていたものを脱ぎ捨て全裸になると外向けの服装へと着替えだしていた。
そうして船が港に接舷するときには、船旅の間に親しくなった殿方を同伴させて上陸する準備を終えているのだった。
船を降りると、船内で消費される様々な物資が入れ代わりで詰め込まれようとしていた。
その中にはショーにでも使われるのか動物までおり、作業員らの喧騒に混じり鳴き声を響かせていた。
雑多ではあるが活気に満ちた港の風景にナナは愉しげに微笑む。そうして同伴する男性の腕に身を寄せて歩き出すのだった。
(さて、あの根暗人形がどんな責めをしてくるのか、お手並み拝見といきますわよ)
そうして、その日は様々な男性との交流を愉しみながら、ナナは有意義な時間を過ごしたのだった。
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