螺旋姦獄 奪われた僕の幼馴染み
【2】不穏な空気とざわめく心
夏休みを前にして演劇部は忙しいようだった。
柳田先輩が新たに書き上げた脚本の配役で渚はふたたび役を射止めていた。
今回は女優ふたりによるダブルヒロイン劇ということで、その一方である男装のヒロイン役に渚は決まった。
それに加えて新たに雇われた演劇のコーチというのが若くて熱心な指導をする青年だった。
その的確な指導で演技力の向上を実感しているらしく、部員たちも練習に熱を入れていた。
金持ちでイケメンだが気も良くまわり、差し入れも頻繁にしてくれるコーチは学園の理事長の甥っ子でもあるらしい。
親族であるという立場を上手く活用して理事長と直談判してくると予算の増額させた上に、夏休みには理事長が所有する避暑地の別荘を合宿に提供するように約束を取り付けてきた。
その働きもあって部員の生徒たちだけでなく教員からの評判もよかった。夕食の場で玲さんが珍しく褒めていたのが印象的だった。
(確かに良い人みたいだな……)
それなのに、その男――風祭 駿(かざまつり しゅん)の話を渚の口から聞くと何故か無性に不安になって腹を立ててしまう。
好青年でイケメン、しかも年上で金持ちとくれば女子部員たちが憧れて騒ぐのも理解できる。
ヒロイン役である渚には特に指導が厚く密接してくるのも、演劇のコーチとして立場ではしょうがない。
理性では理解しているののに渚の口からその男の話がでると、つい反抗的な態度を取ってしまう。嫉妬なのは明確で、自己嫌悪をしてしまう。
(あぁ、くそぉ……)
渚とは幼い頃から何度も喧嘩した仲だ。だけど、謝る理由が嫉妬だというのは劣等感を認めるようで、あまりにも格好が悪すぎた。
そうして謝るタイミングを見いだせぬまま、ズルズルと距離の開いた状態が続いてしまっていた。
「まったく、アナタたち、いい加減に仲直りしたら?」
「ボクは悪くないもん、ご馳走さまッ」
「……僕もご馳走さまです」
ギスギスとした僕らの空気に玲さんは困ったような表情を浮かべるものの、それ以上はなにも言ってこなかった。
その日は珍しく部活が休みとあって気晴らしに放課後に繁華街まで足を伸ばしていた。
とはいえ、いつも繁華街に行くのは渚の付き合いばかりなので、目的もなくぶらつくにはスグに飽きてしまう。
それに目の行くものは渚の好きなものばかりで、気分など晴れるわけもなかった。
(なにやってるんだ、僕は……もう帰るか……)
諦めて帰ろうというところで制服姿の渚をバッタリと見かけてしまう。どうやら部活の仲間たちと一緒に来ているようだった。
つい反射的に物陰へと隠れてしまった僕は、そのまま様子をうかがうことにする。どうやら小道具係の買い出しに付き合っているらしく、布や小物が詰められた袋を抱えていた。
そんな渚たちが集団で移動していくとすれ違う男たちが次々と渚に見惚れていくのがわかる。
(やっぱり渚の容姿はずば抜けているな、あの中でタメをはれるのは霞先輩ぐらいかな)
霞 真夜(かすみ まや)先輩――渚がスカウトされてくるまでは演劇部のヒロイン役といえば彼女だった。
以前には雑誌モデルもしていた経験もあるという先輩で、整ったクールな顔立ちに抜群のスタイル。常に落ち着いていて悠然とした態度から大人びた印象を受ける。
渚がお姫様であるのなら、霞先輩は女王様だろう。整い過ぎた顔立ちから、やや冷たさも感じられるが、それが良いというファンも多い。
以前に演じた役名にあやかって”月の女王”と称されていた彼女にあやかって、渚も”太陽の姫”と最近ではファンの間で呼ばれているらしい。
今度の劇では男装した渚の相手役をつとめ、学園では渚と人気を二分する看板女優によるダブルヒロイン劇との噂には早くも期待は高まっていた。
(どうやら、あちらも帰るところみたいだな……)
夕暮れ時で混んできたメインストリートを避けて、渚たちは裏道を使おうと人気の少ない区画へと入っていく。
ナンパしてくる輩がいるかもとヒヤヒヤとさせられたが、どうやら二人が揃ったことで逆に腰を引けさせたようだった。
安心した僕が胸を撫でおろしていると、物陰から飛び出した人影が渚たちを進路をふさいだ。
「あ、あいつらは……」
前後を塞ぐ連中、その中には見覚えのある二人がいた。
ひとりは野性味を感じる屈強な体躯の男――沢村 竜司(さわむら りゅうじ)だ。
元空手の主将にして不良たちを束ねていた男だ。数々の暴力事件を起こしているはずだが、親族に暴力団の関係者がいるらしく被害届を出されたことがないらしい。
学園の敷地拡張の際には、暴力組織による地上げがあったとの黒い噂もあるから、彼が冷さんとの一件で退学にならずにいるのも真実味を感じさせる。
そして、あの玲さんと対決して僅差で負けたらしいから格闘家としての腕も相当立つのだろう。全身から漂う暴力の気配に、僕も気圧されてしまう。
もうひとりの小太りの眼鏡の名は土屋 建一(つちや けんいち)だ。
地元で有名なゼネコン社長のドラ息子で、父親が学園に多額の寄付をしているのをいいことに好き勝手やっている奴だった。
暴力はからっきしだが、妙に頭が切れるらしく、直情型の沢村とは対照的だ。
父親同士で繋がりがあるらしく、その影響力で簡単には退学にはできない厄介な存在だった。
(なんだって、こんなところに……)
奴らの取り巻きらしい眼つきの悪い連中が、渚たちの退路も塞ぐ。学園では見たこともない連中ばかりだった。
不穏な空気に一緒にいた部員たちは怯えて、女子たちは今にも泣き出しそうだ。
霞先輩は恐怖で座り込みそうになる子たちを支えて、渚はひとり前にでると沢村たちと対峙する。
「邪魔なのでちょっと退いてもらませんか、先輩たち」
多勢に無勢の状況でありながら堂々とした態度だった。実際はどうなのかは別に舞台で主演を演じただけあって、実に様になっている。
それが逆に気に入らなかったのか、沢村は前に出ると本職のヤクザの如く威嚇するように睨みつけてくるのだった。
普通なら震えあがる睨みつけに耐えられたのは、道場に通っていたお陰だろう。門下生の方々の強面ぶりも沢村には負けていない。それらに囲まれて幼い頃から稽古をつけられているから変な耐性ができているのだった。
「チッ、あの女教師の妹だけあって生意気なヤツだなぁ」
「そのお姉ちゃんに負けたからって、今度は妹にボクに意趣返しをしようってわけ?」
小馬鹿にしたように鼻で笑ってみせる。相手の怒りに油を注ぎ込むあからさまなから挑発行為だが、沢村には効果的なようだ。凶悪な顔がみるみる歪み、激高で真っ赤に染まっていく。
「女に負けたくせに、よく街中で顔を出して歩けますよね。超ウケる。もし、ここでボクにまで負けたら……うぷぷッ、もう引き籠るしかないですよねぇ?」
「この阿女ぁぁぁッ」
クスクスと笑う渚の姿についに沢村は切れた。咆哮を上げて掴みかかってきた。
それこそが渚の狙いだった。それまでの頭の軽そうなギャル風の雰囲気から一転してキリリとした眼差しに変貌する。
掴みかかってくる剛腕をかい潜りくぐり、空きなボディに正拳突きを喰らわせる。
「――ぐぅぅ、まだまだッ」
「そうですか」
不意打ちの一撃を鍛えられた腹筋で耐えきった沢村が不敵に笑って見せる。だが、それも渚にとって想定内のことなのだろう。焦りをみせる気配はない。
演劇というのも意外に体力を使うらしく、渚は空手を辞めてからも続けていた日々の鍛錬を絶やさなかった。
その彼女が身を埋めると全身をバネにして頭上に向かって蹴りを放つ。渚による渾身の一撃は見事に沢村の顎を捉えて、その身体を浮かせていた。
渚の動きはそこで終わらなかった。ポニーテールにまとめた黒髪を舞わせながら、クルリと身体を捻る。
着地する沢村めがけて後ろ回し蹴りを喰らわせる。それも最初の正拳突きを喰わらせた箇所にだ。
「――ぐはぁッ」
目にも止まらない動きの三連撃を受けて、屈強な不良は吹き飛ばされていた。
「女なんてっと相手を甘く見過ぎですよ、先輩」
道場に通っていた頃を彷彿させる実にキレのある攻撃だった。
驚いたことに渚のその攻撃を全て受けても沢村は意識は保っていた。すぐに「くそッ、ぶっ殺してやる」「犯してやるッ」と激しく吠えるものの、やはり肉体のダメージは深刻なようで膝をついた状態から動かせそうもない。
その姿に周囲の取り巻きたちにも動揺が走っていた。今こそ逃げ出すにはチャンスなのだが、怯え切った部員たちはとても走れそうもない。
追撃か逃走か、その迷いが脱出するチャンスを逃してしまう。もし、その場にいたのが渚だけであれば、全員を相手にしても互角以上に戦えたかもしれない。だけど、怯えた部員たちを守りながらでは流石に彼女でも無理だろう。
「なにしているだ、お前たち。全員で掴みかかれよ。押し倒せば勝ちだろう?」
土屋の指示によって包囲の輪がジリジリと狭まってくる。
(くそッ、まだかよ……)
異変を察知した時点で、すでに警察には連絡していた。だが、まだ到着する気配はない中では、あとは僕もこの身を張るしかない。
覚悟を決めて物陰から飛び出ようとした瞬間、思わぬ救援が現れたのだ。
僕の脇を駆け抜けていった人影は包囲していた数名を打倒していく。そうして中央にいる渚の元にたどり着いたのは精悍な顔立ちの青年だった。
派手ではないが趣味のよいブランド服を着て、まるで白馬の王子のように助けに現れたのは噂の演劇のコーチである風祭だった。
息を乱さず現れた彼は、爽やかな笑みを浮かべて怯えていた教え子らを安心させる。
そうして、鋭い眼光で周囲を見渡して不良たちを威圧してみせるのだった。
「て、てめぇはッ!?」
「まだ、キミたちはやるつもりなのかな?」
「ぐッ、くそぉ……」
遠くから警官らが駆け寄ってくる気配に、指揮をしていた土屋も潮時だと捉えたのだろう。
ダメージが回復しきれない沢村を抱き起しながら忌々しそうに睨みつけると、連中は合図とともに蜘蛛の子を散らすように一斉に逃げ出していった。
「大丈夫かい? 怪我はないかい?」
「えッ、あぁ……はい」
沢村を殴りつけた手を取られて、頬を赤く染めて戸惑いをみせる渚。
その光景に心がザワつくのを感じながらも、彼女が無事なことに安堵する。
(チェッ……お姫様を救うには役不足なのは理解しているよ)
。その場に背を向けると、集まってくる野次馬たちとは反対に僕は人知れず離れていった。
繁華街での騒動は翌日には職員会議に掛けられた。だが、そこでも沢村たちへの重い処分は下されることはなかった。
沢村らがその場には行ってないシラを切り通しており、彼らを妙に擁護する教師らも処分に反対していた。
その筆頭にあがるのが榧野 軍平(かやの ぐんぺい)という地理教師なのだが、彼自身もいろいろと問題の多い人物で女生徒に手を出したとか悪い噂も絶えない。
不良らを退けて生徒たちの人気も高い玲さんとは、なにかと対立することも多いらしい。
榧野らは明確な証拠もないのに疑うのは正しくない、大きな実害も出なかったことだし穏便にことを進めるべきだと熱弁した。
そうして、これ以上騒ぎを大きくして他の部活動などに影響がでるのを避けたいという学園側の都合も大きく影響して、今回は不問にするという流れになる。
これには会議に出席していた玲さんも憤慨していた。
結局、理事長の裁量で厳重注意という実に軽い処分で落ち着き、この騒動は終わりを告げることになった。
(結局、今回の件は風祭の評判が上がっただけか……)
助けられた部員たちが颯爽と助けに現れた風祭の雄姿をふれ回ったお陰で、彼の人気はますます高まっていた。
傍観していた僕も関心するぐらいの見事な立ち回りで、それを否定する気もない。
ただ、その騒動から渚と風祭の距離は益々縮まったように見えて、僕の気持ちはざわめくのだった。
夏休みに入ると計画されていた演劇部の合宿が行われることになった。
理事長が所有する軽井沢の別荘を使って、二週間にも及ぶ滞在中の諸経費は増額された部費で全てまかなわれるとあって、参加する全員が楽しみにしていた。
それには当然のように渚も含まれて、大荷物を準備していた。
「行く前に仲直りしなくて良かったの?」
学園で出発しようとしている演劇部の集団を遠目で見ながら、玲さんは僕にそう声をかけてきた。
自分でもこのままではいけないとは分かっている。その踏ん切りが掴めないだけだった。
「なんか顔を合わせるとお互い意地になっちゃって……この離れた機会に少し頭を冷やします」
「精神の鍛錬も足らないのかなぁ、ビシビシ鍛えてあげようか?」
「お、お手やらかにお願いします」
演劇部の方も出発前に少し騒動があったようだ。去年の評判から入部した新入生が随分と増えてしまった為に、移動に使う車の運転手が追加で必要になっていた。
顧問である古典教論の古賀先生とコーチの風祭、そして、もう一台の運転手として榧野も参加することになったのだ。
いろいろ悪い噂のある榧野も行くと知って参加者、特に女生徒らから不安の声があがってきた。
それに対して彼には送迎の車を運転するだけで別荘には滞在はしないという折衷案が、彼に声をかけた風祭から出された。
それでも彼の車には皆が乗りたがらない為、部長である柳田先輩と霞先輩、そして渚が同乗することになったらしい。
(柳田先輩が一緒なら安心だな)
合宿に必要なものを詰め込み演劇部の面々は三台の車で出発していく。それを遠目で見送ると僕も部活に戻るのだった。
「渚が帰ってきたら謝ろう……」
渚がいない長い二週間を過ごして、ようやくそう僕は決心できた。
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