気高き心は砕かれて、欲望の昏き水底へと沈められる・2

【3】襲撃部隊との死闘

 パトカーのガラスは全て砕け散り、ミラーやパトランプの装備品が弾き飛んでいった。

「うぉぉぉッ」
「きゃぁぁぁッ」

 車体前方に叩き込まれた銃弾によってエンジンは破壊されて、フロントパネルが吹き飛んでいた。
 動力を失ったパトカーはすぐに減速をはじめて、ついには止まってしまう。
 その行き先を遮るように横向きにバンが停められた。

「よーし、撃ち殺されたくなければ銃を捨てて素直に出てこいッ」

 後部座席の三人を従えて、助手席に座っていた男が降伏勧告を告げながら降りてきた。
 同じく野戦服姿だが、こちらは同色の帽子をかぶる三人とは違い深紅のベレー帽だ。
 その堂々とした佇まいから追跡の指揮を取っているのが彼であるとわかる。

「ありゃ、軍人か本格的に軍事訓練を受けた類だな、ひとりだけ纏う空気が違いやがる」

 犯罪集団であるロドリゲスの組織の中枢を構成するのは、当然ながらゴロツキやヤクザ者ばかりだ。
 だが、自らも裏切られるのを恐れるロドリゲスは、配下の者たちに過剰な武力を持たせるのを極端に嫌った。
 代わりに忠誠心が特に高い若者を選抜すると、懇意にしている民間軍人会社に送り込んで訓練の依頼を出したのだった。
 それは一人前の兵士――いや、一個の殺戮兵器と化すための実地訓練だった。
 三ヶ月の訓練を受けたのちに実弾が飛び交う戦場に投入されて生き残ったのは半数、その次は三分の二と数を減らしていった。
 相手の命を奪うのに躊躇した者から次第に死んでいき、一年を経過した頃には非情な心と高い殺傷能力、そして命令に絶対に従うよう徹底的に教育が施された兵士が出来上がっていた。
 その訓練で生き残ったメンバーを帰国させると、ロドリゲスはそれぞれを隊長とした直属の実行部隊を作り上げたのだった。
 咄嗟に車外に飛び出した二人は、スクラップと化した車体の影に隠れて対峙していたのは、その実行部隊のひとつだった。

「ボスには生け捕りにしろを厳命を受けている。だが、無傷とまでは言われていない」

 ベレー帽の合図で再び火を吹く銃口。銃弾を浴びて盾にしている車体は激しく揺れて火花が飛んでいる。
 それがいつ漏れ出した燃料に引火するかわからない状態だった。

「わ、わかったから、それ以上は撃たないでくれッ」

 物陰から投げ捨てられた銃が路面に転がる。両手を上げたビセンテがゆっくりと姿を現した。

「よし、女の方も三つ数えるうちに出てこいッ……さもないと男の体が肉片に化すぞ……ひとーつ……」
「わ、わかったわ」

 肥満体に遅れて姿を現したクロエは、パトカーから脱出するさいに破いてしまったのか、制服の至るところが破けてしまっていた。
 特に胸元の裂け目からはピンク色の下着まで見えてしまう。
 豊満な乳房が窮屈そうに収められている光景には、男なら思わず視線が釘付けになることだろう。
 事実、強い精神力を有するベレー帽の男は別として、配下の三人は口元をニヤニヤと綻ばせてしまっていた。
 二人の拘束を命じられた時も、誰がクロエを手掛けるかと揉める始末で、ひとりが銃で狙いをつける役となり、残りがそれぞれクロエとビセンテの相手をすることに落ち着いた。
 自動小銃を前にしてすっかり観念したのか、胸元を手で隠しながら恥ずかしそうに先輩警官の背に隠れようとするクロエ。
 その初心な反応にニヤニヤと下碑た笑みを浮かべて男たちは手錠を手にして迫ってくるのだ。

ーーそこには完全な油断があった……

 再びビセンテの背後から姿を現したクロエの両手には、あるものが握られていた。
 サイドハンドルバトン、ト型をした把手のついた警棒だ。沖縄の琉球古武術において使用されていた打突武器兼防具であり、旋棍やトンファーとも呼ばれている。
 米国をはじめとした警察でも警棒として採用されており、クロエも愛用しているのだ。
 彼女の場合、それを両手で二本も扱い、打つ、突く、払う、絡めると多様な技を繰り出して犯人逮捕に活用しているのだ。
 いまも拘束しようと近づいていた二人の不意を突き、即座に打倒してしまう。
 そのまま仲間の身体を盾にして近づくと、自動小銃を撃てずにいた残りのひとりも制圧してしまう。

「おぉ、これで形勢逆転だなッ、素直に投降するか撃たれて痛い想いをするかだ。まずは、武器を捨ててもらおうか」

 クロエが暴れている隙に銃を拾い上げたビセンテが、隊長であるベレー帽の男に銃を突き付けて降伏をせまる。
 だが、銃口を一瞥しただけで男は腰からナイフを抜き取ると、彼を無視してクロエへと斬りかかるのだった。

「――くぅぅッ」
「や、やめろッ、本当に撃つぞッ」
「勝手にしろ、そんな震えてたら当たるものも当たらんがね」

 ビセンテの銃の腕前を一瞬で見抜いて脅威ならないと判断したのだろう。完全に背を向けてクロエと対峙していた。
 素早き斬撃を二本の警棒で防ぐクロエだが、防戦一方であきらかに分が悪く、完全に防ぎきれてもいない。
 スパスパッと衣服が切り刻まれて露出箇所が増えいく。近接戦闘において相手の方が格上であり、弄ばれているのがわかる。
 先ほどのような色仕掛けも、この男には効果は期待できなさそうだ。

「まずは一本目……」

 宣言とともにブラジャーの肩紐がスパッと両断されていた。
 おもわず押さえようと反射的に手が動き、そこを狙った払いのけで左手に握られていた警棒を弾き飛ばされてしまった。
 警棒が一本になれば防御力も半分だ。警察官の誇りである制服が切り刻まれていくスピードも増していく。

「くそぉ、これじゃ、撃てねぇ」

 震えの止まらない手では上手く狙いが定まらない。その上、密接して戦闘をされては流れ弾がクロエに当たる可能性まであるのだ。
 その事を理解した上でベレー帽の男はビセンテに背中をみせてクロエに全力を向けていた。
 幸いなことに相手の目的がクロエの生け捕りであり、そうでなければ技量の差から決着はあっという間についていただろう。

「くそぉ、愉しんでやがる」

 衣服を切り刻み、戦意を削ぐように嬲り続けていくうちに男も嗜虐欲を刺激されたのだろう。部下の男たちと同様にその口元には乾いた笑みを浮かべるようになっていた。
 シャツはボロ布と化してブラジャーは完全に露出し、ズボンも褐色の肌を所々に覗き見えている。そのお陰で着痩せして見せていた豊満なボディが白日にさらされていた。
 だが、悲惨な姿とは裏腹にクロエの顔には諦めの気配はなかった。
 必死に斬撃に耐え忍び、チャンスが訪れるのをジッと待っているのだった。
 相手もそれを重々に理解して薄皮を剥ぐようにしてクロエの衣服を切り刻んていたのだが、一向に彼女が心折れないことに苛立ちを募らせてはじめていた。

「いい加減、諦めたらどうだ? お前程度では俺には勝てないのを理解しただろう?」
「えぇ、悔しいけど勝てないですね……私だけならね」
「――なにッ!!?」

 クロエの言葉とともに男は背後からの衝撃を受けて驚く。ビセンテが捨て身のタックルを敢行したのだ。
 ラクビーのような低くて重心の乗ったぶち当たりを不意に受けて、流石に屈強な兵士でもバランスを崩してしまった。

「くそッ、離れろ、このオヤジがぁッ」
「へへへッ、こう見えても学生時代にはサッカーのキーパーだったんだぜ――ぐふッ」
「せ、先輩ッ、おのぉッ!!」

 脇腹にナイフを突き刺されて崩れ落ちるビセンテ。その姿に、激昂したクロエが体勢を崩した男へと迫る。
 抜けぬナイフを諦めて、予備のナイフを抜いた時には手遅れだった。
 地面を擦るような警棒を使っての突き上げを顎に喰らい、屈強な男の身体が地面から離れる。
 それだけではクロエの攻撃は終わらない。クルリと持ち直した警棒を使い、体重を乗せた肘鉄の要領で警棒の一撃を男の鳩尾にくわえるのだった。

「ごふぅぅッ」

 血反吐を吐いて吹き飛ぶベレー帽の男。路面に大の字に倒れ込んで動かないのを確認する余裕もなく、クロエは傷だらけの身体でビセンテの元へと駆け寄っていた。
 その背後では、サイレンの音を響かせて近づいてくる複数の警察車両が見えるのだった。

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