気高き心は砕かれて、欲望の昏き水底へと沈められる・2

【4】裏切者の正体

 機動隊員に囲まれて、手錠を掛けられた野戦服姿の男たちが次々と護送車に押し込まれていく。
 その光景を横目にしながら、クロエは到着した救急車の隊員によってビセンテがストレッチャーに乗せられるのを見つめながら、血の気を引いた顔をしていた。

「先輩……」
「なに不安そうな顔をしてやがるんだ。いつもの太々しさはどこいったよ。俺は大丈夫……イテテッ」
「無理しないで下さい。似合わないのは先輩の方じゃないですか、厄介事は御免だと言っておきながら、あんな無茶をして……」

 感極まったのか、涙をポロポロとこぼして横たわる相棒の肥満な身体に抱きつく。

「うおぉ、腹に顔を押し付けるな、イテテ、押されたら中身が出ちまう」
「あぁ、ごめんなさいッ」

 慌てて飛び退いて謝罪を繰り返すクロエ。そんな彼女にビセンテはフッと笑うと優しい表情を浮かべる。

「まぁ、なんだ。せめて俺が退院するまで大人しくしておけよな。マーシーのヤツにも警護をつけるように頼んでおいたからな……わかったか、クロエ」
「……はい、わかりました……て、先輩、今、私の名前を呼びましたか?」

 コンビを組んでから「お前」「お嬢さん」「馬鹿」と散々な言われようで、ビセンテからまともに名前を呼ばれたことがなかったのだ。

「そ、そうだよ……まぁ、まだまだ半人前だが、名前呼びぐらいはしてやる。こうなったら最後まで付き合ってやるからな、クロエ」
「あ、ありがとうございますッ」

 照れた顔を見られたくなくって顔を背けるビセンテにクロエは微笑む。
 そうして、彼を搬入してバタンと扉を閉じられた救急車が走り去っていくのを見送るのだが、その肩にそっと上着がかけられる。
 振り向けば、そこにはマーシー刑事本部長が困った顔で立っていた。

「あぁ、ちょっと刺激が強い姿だったのでね。部下たちも目のやり場に困っている」

 その指摘を受けてクロエも自分がほぼ下着姿なのに気が付いて褐色の頬を赤く染めてしまう。
 赤面する彼女の肩にさりげなく手をまわして僕の乗ってきた車で送ろうと、自然な動作でエスコートするあたり彼が実に女慣れしているのがうかがえる。
 いつもヨレヨレのスーツや体臭が気になる刑事たちばかりを目にする中で、スマートに高級そうなスーツを着こなして、コロンの残り香が鼻孔をくすぐる彼のような存在はクロエには不思議な存在だった。
 移動指令所も兼ねたバンの中へとふたりで乗り込むと、窓もなく沢山の計器やモニターが並ぶ車内には他の人もいない。
 シートのひとつに座らされて湯気を立てるコーヒーを差し出される頃には、車は静かに走り出していた。

「少しは落ち着いたかい? むさい連中がいない方が静かでよいと思ってね」
「あ、ありがとうございます……ところで、なぜ本部長が直々に?」
「あぁ、海岸線で派手なカーチェイスが行われているという報告を受けてね。あの近くにはロドリゲスの別荘もあるからすぐに先輩やキミの顔が浮かんだわけだよ」
「そ、そんれだけで?」

 実際にあれだけ派手に騒動を起こせば警察の介入があるのが当然だった。
 とはいえ、それで本部長のような立場の男が直々に指揮をとるために現れるのは違和感を感じる。

「まぁ、あの現場では先輩に嫌味ぽい口調で対応してしまったけど、これでも彼には感謝しているし力になりたいと思っているんだよ」

 それまで落ち着いた物腰の年上男性が、急に照れくさそうに指で頬を掻いている姿にクロエは急に親近感を抱いてしまう。
 そして、ビセンテがかつては首都警察一と謳われた敏腕刑事であったことや、新人時代に彼に扱かれた逸話を軽快なジョークを交えて語られると、初対面で感じていた嫌な男の印象が次第に払拭されていった。

「でも、なんで今の先輩はあぁなってしまったんですか?」
「当然の疑問だね。当時、ロドリゲスが組織のボスになって賄賂や暴力による脅しが蔓延りだしていたんだ。次々と同僚たちが殉職したり辞めていく中で、最後まで組織壊滅の先鋒にいたのがビセンテ先輩だった」

 ちょうど彼の指揮で汚職大臣の摘発を目前に控えてきた頃だった。
 それも大いに関係していたのだろう彼に大量の賄賂とともに軍門に下るように脅迫が届いた。
 勿論、正義感の強かったビセンテは、その脅しを跳ねのけて大臣の逮捕に踏み切った。
 その結果、はじめての出産を終えたばかりの愛妻が病室ごと爆殺されることになったのだった。

「目の前で燃え盛る病室を前にして、呆然としているビセンテ先輩の姿が今でも忘れられないよ」

 生まれたばかりの赤子を抱こうと激務の間を縫って病院に駆け付けたところだった。
 それを見計らったように目前で家族二人の命を奪われたショックは、どんな脅しにも屈しなかった彼の心をへし折るには十分な効果であった。
 心を病んで最前線から離れるとアルコールに浸る日々を過ごす。
 その後、順調に出世を重ねたマーシーも彼のことを気にしていたようだ。一般の警察官として復帰できるように手をまわしたのも彼によるものだった。


「僕がこうして本部長としていられるのも、ビセンテ先輩のお陰でもあるからね。同じ先輩を持つクロエ、キミとも出会えたことも凄く嬉しいと思っているよ。この後のことも頼まれているからね、安心して任せてくれたまえ」
「はい、ありがとうございます」

 そうして話し込んでいるうちに車は到着したのだろう。コンコンと後部ドアがノックされる音が聴こえてくる。
 マーシーに導かれるように車外に降りた彼女に強いライトの光が向けられる。
 眩しさに目を眩ませていたクロエの腕が何者かに掴まれたかと思うと、ガチャリと聴き慣れた金属音とともに手首にズッシリとした重さが加わる。

「……ど、どういうことですか? それに、ここは……」

 そこは高級車がこれでもかと並んでいる広々としたガレージだった。
 自宅へと送られるはずが見慣れない場所に連れ込まれてクロエは困惑してしまう。
 さらに目の前にいるのは、先ほどまで死闘を交わした野戦服の男たちと同じ姿をした者たちだ。武装してクロエを取り囲んでいた。
 そして、追い打ちをかけたのが先ほどまで親身に話をしていたマーシー本部長が、彼女の手首に手錠をかけていたことだ。

「先輩同様に、キミにも僕の出世の糧になってもらうよ……まったく先輩と同様にキミもお人好しで間抜けなヤツで助かったよ」

 不気味な笑いとともにドロリとしたどす黒い悪意を振りまく姿には、先ほどまでの紳士然とした雰囲気は残ってはいなかった。
 彼の言葉でようやくクロエも事態を飲み込むことができた。

「まさか、本部長ともあろう者が組織と繋がっているなんて……まさか、先輩の奥さんが狙われたのも……」
「この若さで本部長まで出世できるには、それなりの後ろ盾は必要なのさ。今度はキミのお陰で警察だけでなく組織内でのさらなる出世を期待できそうだね」

 彼が単なる組織の小間使いでないのは、彼の指示によってボス直属の実行部隊員が動くのでうかがえる。
 迫る男たちを前にして、クロエは銃はおろか警棒すら手元にないのに気づく。
 更に両手首を手錠で繋がれた状態ては、戦闘訓練を積んだ連中を前にして大した抵抗もできやしない。

「は、はなしなさいッ、はなしてッ」

 すぐに取り押さえられて両側から両腕を掴まれる。そのままズルズルとグラマラスな下着姿のまま引きずられていくしかない。
 彼女の肩からずり落ちた自分の上着を拾い上げたマーシーは、ポンポンと汚れを払うと薄笑いを浮かべてその後に続くのだった。


 クロエが連れていかれたのは窓もないコンクリート?き出しの部屋だった。
 組織に邪魔な者を処分するために使われる部屋で、壁の棚には拷問や遺体の解体に使う道具が並び、床や壁には乾いた血らしき染みがこびり付いている。
 その中央で天井から垂らされた鎖で両手首を高々と吊られているクロエだった。

「くぅ……」

 野戦服の男たちは彼女を吊るすと部屋から早々に退去していた。残るのはマーシー本部長ただひとりだけだ。
 彼は上着をそばの椅子に掛けると、ネクタイを緩めてシャツの腕をまくっていた。

「僕も昔はキミと同じように法の番人としての警察官に誇りをもっていたものだよ」

 そう語りだしながら様々な器具の置かれた壁の棚へと向かう彼は、何度もこの部屋に訪れているのだろう。
 どこにモノが置かれているのか完全に把握している様子だった。

「そんな貴方がなんで……」
「さっき語っただろう? 暴力や金を前にして同僚たちは命を散らし、汚職に染まっていった。僕は後者だったってことさ」
「その結果、先輩の奥さんとお子さんを……」
「あれは、いつまでも屈しなかった先輩も悪いと思うよ」
「……本気で言っているの?」

 悪びれた様子をみせずに壁に吊るされていた鞭の中から一本鞭を手にすると軽く振って見せる。
 ピシッという乾いた打撃音がヒンヤリとした室内の空気を震わせた。

「それに、こちら側も意外に悪くはないよ。安月給の刑事からは考えられない豪華な暮らしができるし、なによりこうしてキミみたいな女性をいたぶれるしね。僕はねぇ、女性の無残な姿に興奮するらしくってね、普通の生活をしてたら、この欲求もなかなか満たせないよね」
「最低ね……それで、私をどうするつもりなの?」
「ボスのことを探るのは、何者であろうとも処分するのか決まりでね……ただ、その前に僕の趣味に少しばかり付き合ってもらうよ」

 鞭を手にゆっくりと周囲をまわりはじめた男の姿を、クロエは睨みつけながらも追う。
 身体は爪先たちになる高さまで両腕を吊られて、足首にはめられた枷と床に撃ち込まれたU字フックを鎖で繋がれている。
 ちょうど人の字になるように固定された彼女は、背後にまわられると振り向くことができない死角だった。
 そして、こそに男が入った途端、見えない背後から鞭が唸りをあげた。

――ビシッ

「ぐあぁぁぁッ」

 風切り音とともにクロエの背へと鞭が振り下ろされる。褐色の肌を打ちつける痛打に、苦悶の表情と呻き声を上げさせられた。

「あぁ、期待通りに、キミはいい声で啼くな」
「こ、この変態――あぁぁぁぁぁッ」
「んん、なにか言ったかね?」
「ぐぅぅぅ……このぉ……ぐあぁぁぁぁッ」

 次々と襲い掛かる鞭の連打に、息をつく暇も与えられない。
 褐色の肌には次々と鞭の朱い痕が刻まれ、唯一残っていた下着すらもすぐにボロボロにされてしまう。
 もはや首に下げられたロザリオだけを身につけている姿だ。そんな無残で哀れな姿に興奮を高めているのだろう。マーシーは高揚した表情のまま、鞭を振り続けていった。

「ほぁ、はぁ、はぁ……つい興奮しすぎてやり過ぎたかね」

 両腕を吊り上げる鎖に身を預けて、クロエはグッタリとした様子だった。
 その褐色の身には無数の鞭痕が刻まれ、ピンク色のブラジャーもショーツもボロ布となって足元に飛散していた。

「さて、次はどうやって愉しませてもらおうか……」

 鞭を戻して次の責めを思案していたマーシーは、何者かが背後の扉から室内へと入ってくる気配を感じて舌打ちをついてた。

「誰も入ってくるなと釘を刺しておいたはずだが――なッ!?」

 振り向いた先にいた男を目にして、済まし顔を浮かべていたマーシーが珍しく取り乱していた。
 立っていたのは紫生地のストライプのスーツを着込んだ恰幅のよい男だ。
 白髪混じりの金髪を塗りつけたポマードでベッタリとオールバックに固め、年齢に似合わず脂ぎった肌とギラギラとした眼差しが印象的だ。

「ボ、ボス、なんでこんなところに?」

 その男こそ、組織のボスであるロドリゲス本人であった。
 そもそも、ここはロドリゲスの別荘なのだから彼がいること自体は珍しいことではないだろう。
 だが、慎重で用心深い彼が現場に顔を出すことは最近では珍しいことだった。
 普段は建物内に設置させた監視カメラで鑑賞するぐらいで、今回もその為の演出をマーシーも用意していたぐらいなのだった。

「なぁに、珍しく我慢できなくなってなぁ、実物をみれば実に嬲りがいのある女だぁ……よし、この女は殺さずに俺の性処理用として飼うことにするぞ」
「……えッ!?」
「なんだ? 不満があるのか?」
「い、いぇ……そのようなことは……」

 誤魔化そうとするが、あきらかに目の前でお気に入りの玩具を取り上げられて不満顔である。
 その悔し気にする様子が、他人のモノを奪うことに悦楽を感じるロドリゲスには心地よいものだった。

「そうか、そうか、不満がないのなら問題はないな」

 そうは言っているがロドリゲスは組織に君臨するボスである。誰が彼に不満など言えようものか。それを知っていながら、わざわざ尋ねることに彼の意地の悪さが垣間見えるというものだった。

「さて、そういう訳で今からお前は俺の牝奴隷だよ。肉玩具として穴という穴を使ってやるから悦ぶんだな」
「ふ、ふざけないでッ、誰がそんなことを……」
「あぁ、そうか。一応はお前の意志を尊重してやろう……まぁ、その場合、お前の命だけでなく、肉親、知り合い全てが不幸になるがなぁ……元刑事だった父親は健在で、可愛い妹もいるんだってなぁ」

 上司である本部長まで配下にいるのだから、警察官ひとりの個人情報など簡単に入手できることだろう。
 親類縁者、友人関係まで把握されて、それを人質にされているとロドリゲスが語ってみせているのだ。

「ひ、卑怯よッ!!」
「あぁ、卑怯で結構だ。俺はそうやって成り上がったんだからなぁ、今更、変える気もない……で、どうするんだ?」
「くぅぅ……」

 唇を?みしめて睨みつけてくるクロエの視線を、ロドリゲスは心地良さそうに受け止めてみせる。

「なぁに、すぐには決められないだろう。まずは一人……殺してみせれば、気持ちも固まるだろう」

 その言葉に応えるようにマーシーが端末を取りだして、どこかへと連絡を取り始める。

「な、なにをするつもり!?」
「まずは、あー……名はなんていったか、相棒だった男には死んでもらおうか。ちょうど病院らしいからな、大した手間もかからんさ」

 ビセンテが担ぎ込まれた警察病院もロドリゲスの息がかかっていた。医師にも看護師にも彼の命令に従い、患者の命を奪うことを躊躇わずに実行する。

「準備ができました」
「せめて、苦しまずに殺してやれ」
「はい、わかりました」

 人の命を奪うというのに、そのやり取りはあまりにも簡潔だった。ロドリゲスからの指示を伝えようとマーシーは端末に口を近づけていく。
 そのやり取りを驚愕の表情とともに凝視していたクロエは、「ま、待ってッ、待ってください」とおもわず呼び止めていた。
 もし、彼女が声を掛けるのは数秒でも遅れていたのなら、実際に暗殺は実行に移されてビセンテは死んでいただろう。

「その様子だと、心は決まったようだなぁ?」
「うぅぅ……」

 合図を送り通話を停めさせたロドリゲスに、ニタリを不気味な笑みを浮かべながら顔を覗き込まれる。

「俺は待たされるのは好きではないのだがなぁ」
「あぁ、わ、わかりました、わかりましたから……」
「なにがわかったのか、ちっと俺には伝わってこないぞ」
「あぁ……そんな……」

 クロエの反抗心を潰すために、ロドリゲスは屈辱的な従属の言葉を彼女に言わせようとしているのだった。
 その意図も汲み取り、すり寄ったマーシーが耳元でセリフを吹き込んでいく。

「さぁ、言ってみろ。言えないようなら、暗殺を実行するぞ」
「くぅぅ……わ、わかりました」

 血が滲みだすほど下唇を噛みしめたクロエはギッと男たちを睨みつけて、ゆっくりと唇を開いていくのだった。

「私、クロエ=ベラスコ=イバラは、今から……ロドリゲス様の……」
「どうした、早く次を言え」
「ぐぅぅ、ロドリゲス様の牝奴隷となり……うぅ、穴という穴を使って……ご、ご奉仕させていただきます。立派な肉便器となれるよう頑張りますので……あぁ……ど、どうか思う存分に……うぅぅ、調教して……ご愛用して下さい」

 憤辱の想いを抱えて、クロエは言われるがままに従属の言葉を口にしていった。
 そうして、すべてを言い切ると悔しさのあまり情熱的な黒い瞳を潤ませて、ポロポロと溢した涙で頬を濡らす。
 精鋭である実行部隊員にも正面から果敢に立ち向かった女性警察官の悲観にくれる姿に、ロドリゲスはゾクゾクと背筋を走る快感に酔いしれ、口元には乾いた笑みを浮かべてみせた。

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